最近エッセイ関係でランキングがアレな感じになってますよね。それに対してはそう言う意見もあるわなーと言う感じなのですが、それに支持が集まっている状態なのがなんかアレですね(汗)。何かこう、ギスギスしているって言うか、余裕がないって言うか……。
ネットニュースのコメントとか見ても思うんですが、意見は色々あっていいと思うんですよ。意見を言うなまで主張すると言論統制っぽいですからね。
ただ、評価順で表示すると、今はその意見が支持されているんだ……って唖然とする事があります。ニュースによって読む層が違うからでしょうけど。
星関係のエッセイ、最後まで応援したなら星入れましょ、最後まで読んだなら星入れましょは、1意見としてはその気持分かるなと言うところもあります。ただし、入れて欲しいと言う願望に留めておくべきだと私は思います。入れるべき、入れよう、入れないのはおかしい、入れないやつは人間じゃねぇ! と、どんどんエスカレートしていくとちょっと怖いかなと。
公式なルールにないのに利用者側が独自に決めたローカルルールがユーザーによって強要されるようになると、そのサイトは過疎ります。星を入れないといけないと言う圧が変に強くなってしまったら、カクヨムはそう言うサイトだと言う認定をされて寂しくなっていく気がするんです。
あの意見に高評価を入れた人はそう言う世界になってもいいと言う、先を見越した上で評価したのかな? と思うんですけど、どうなのでしょうね。
応援と評価は連動していません。応援しても評価はしないと言う自由があります。応援はしないけど評価はすると言う自由もあります。そしてそれは読んだ人が好きに判断するものです。
そう言う仕組みである以上、応援したなら星も入れて欲しい、と自分の望みを言葉にする以上の行為は行き過ぎになるんじゃないかなぁ。星を入れるかどうかは読んだ人の自由意志で決めていいと思うんですよね。あんまりサイトの雰囲気が窮屈にならないで欲しいです。
個人的には今の(※執筆時)カクヨムってそんなに評価が入り辛くなった気はしませんし、今の状態に私は何の不満もありません。つまらない作品に星が入る状態より、面白い作品に星がガンガン入る状態であればいいと思います。
そう言う状態が保たれているならば、星がなければもっと頑張らなくちゃと思うし、星が入ればより嬉しく感じますものね。
ただ、私の考えと何でもいから星が欲しいと言う人の考えはずっと平行線かも知れません。これは人生はお金が全てだと言う人と、お金よりも大切なものはあると言う人の考え方に近いものがある気がします。
この2つの意見って永遠に平行線ですよね。何か考えを変える大きな出来事がその身に降りかからない限りは。
誰だって苦労した分の対価は欲しいと思います。とは言え、小説はエンターティメントです。100万文字の面白くない作品より1000文字の傑作の方が評価が高い世界です。星がないと嘆くなら、星入れろーって叫ぶより、星を入れてもらえる作品を目指すべきじゃないのかなと。綺麗事に聞こえるでしょうけど。
私も謎の同調圧力でこれ、星を入れなきゃあかんあと思って星を入れた事がありますけど、なんかスッキリしませんでした。星を入れる時は素直に面白い! と思った時に入れたいですし、そこに星を入れろ圧力を感じたくはありません。いつまでも雰囲気のいいカクヨムであって欲しいと思います。雰囲気がいいからこそ参加者が増えて結果的に星が増えるようになると思います。
そう、今すべきはカクヨムの雰囲気を良くしてより多くのユーザーを引き込む事なんですよ! 前向きに健全に行きましょう! カクヨムに明るい未来を! 私からは以上です。