• 現代ファンタジー
  • 異世界ファンタジー

一人称モノって何が何でも一人称じゃなきゃあかんの?

 一人称小説を読んでいて、主人公が出てこないシーンの描写に別のキャラを主人公に設定したシーン描写があったりしますね。別キャラ視点描写ってやつです。私、アレが苦手なんですよ。

 一度主人公を決めたら、主人公はずっとその人固定の方が読んでいて混乱しません。敵側視点になったら、その敵の誰かの視点にならずにそのまま三人称表現でもいいんじゃないかなぁ。と、個人的には思うんです。
 だから私が書く一人称作品は別キャラ視点にはなりません。その場に主人公がいないシーンの描写は自動的に三人称視点となります。それが正解かどうかは分かりませんけど。

 一人称作品の中には主人公を複数用意して1話の中で同じシーンを何度も別視点で描写する作品もあったりします。それって、小説ならではですよね。あ、だから敢えてそうしているのかも。個人的にはすごく苦手なのです(汗)。まだ別のシーンの描写ならありだとは思うんですけどねぇ……。

 心理描写と地の文が地続きな作品も苦手なのですが、更にここにキャラ別視点が加わると自分の頭の処理能力が追いつかなくなってきます。誰が主人公か分からなくなってきますし。多分作者的にはメインキャラ全員が主人公って事なのでしょう。話が面白ければ読めるのかも知れませんけど……。
 面白い作品って、その辺はちゃんと配慮されているんですよね。例えば一人称の場合なら主人公の出てこないシーンは描写しないとか。

 別シーンの描写の必要な作品があるのは分かりますし、その作品を一人称で書きたい気持ちも分かります。この辺のバランスをいい感じにするのは結構難しいのかも知れませんね。

3件のコメント

  • 夕日 ゆうやさん こんばんは☆彡

    視点変更時に名前を表示させる作品、今読んでますね。まだちょっと馴染めませんけれど(汗)。

    一人称と三人称を違和感なく混ぜるといい感じになりますよね。そこはもっと精進していきたいなと思っています。
  • 本来、三人称しかなかったところに、一人称が生まれ、三人称でも心理を扱う話法というのが発達していったという経緯があったと記憶しています。後から作りつけた作法なので、もともと歪なんです。

    一人称は厳密さを突き詰めていけば作家自身に限定した内面吐露の物語という感じにどんどん範囲を狭めていってしまいます。私小説が非常な流行をした理由として有名だそうです。
    また、三人称も厳密に突き詰めると一切の内面描写や主観描写は排さねばならないというカタチが究極の姿です。ハードボイルドの原型です。

    なので、この両者の中間に位置する文体はすべて、極論ではどっちつかずの中途半端さを伴います。それが読者の違和感になります。一人称なのか三人称なのかの判断が揺らぐせいです。

    違和感がない人は読み慣れてしまっただけなのですが、この慣れを逆算で取り入れていくことで、ある種の読まれやすさに繋がると思います。
  • 最初は三人称からだったのですね。確かに教科書に載っているような小説はみんな三人称だったような気もします。今の教科書は違うのかもですが。
    私小説が一人称の始まりだったのですね。言われてみれば……。

    私も三人称では一切の内面描写はNGみたいな事を創作論で読んだ気がします。ただ、実行しようとすると難しいですよね。ついつい書いてしまいます(汗)。ハードボイルド、高い壁だなあ。

    今の一人称小説も三人称小説も歪なのですね。それは言い換えれば、まだ発展途上と言っていいのかも。
    表現と読みやすさを天秤にかけて、出来るだけ読者の負担にならないような表現を心がけていきたいものですね。
コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する