商業的なる作品(実際に商業化しているかは関係ない)以外の話で、よく「幸せなうちは小説なんて書かない」と言われるが、あれは少し的を外した言い方で、その時幸せに感じているかどうかが執筆意欲に関わるのではなく、本質的に欠けた感じがするかどうかがポイントであるように思われる。欠けたものをバーチャルに呼び覚まし具現化せんとする無謀な願いというよりは、何が欠けているのかの整理として専ら利用されるようだ。幸せと不幸、満足と不満足は同じようなことだと思われるかもしれないが、満足が幸せとは限らないことに注意したい。
私は今欠けを感じていて、数年ぶりに筆を執っている。