高校の頃だったか、数学の教師に、君の脳のうち数学を司る部分は退化して無いか米粒の様に小さくなっている、と言われた事があったけれど、おそらく私の脳(感受性というと月並みだが心のほうかもしれない、心は脳ではなく心臓にあるという中世じみた直感を奉じているわけでもないが、脳だけが我が全て、という傲慢さは私にはない)のうち、小説を読む事で発達する部分は干し梅のように干からびて縮こまっているのだろう、という感覚はある。大学で政治だの法律だのを学んでいるうちに、私の脳は政治という異常者のための営為と闘争心で一杯になってしまったのか。
ではなぜ文学サークルに入って小説を書こうとするのかと言われれば、まあ面白そうだったからではあるのだが、それ以上に、確かに小説が好きであった(別に嫌いになったわけではないが)時期の記憶、私は小説が好きで文章が得意なのだ、という呪いにも似た妄執とか自己認識とかそういう類いのもの故なのか、今のところ明確な答えはない。表現行為そのものへの青くさい憧憬を捨てきれていない、幼さの証左と指摘されればそれも否めない。
いずれにせよ当面のところは、少しずつリハビリを行いながら、まず手足を伸ばし、地に足をつけ、本を読み、文を書く、その機会を頂いたサークルの諸兄には本当に感謝したい。