あとがき冒頭を飾る為、まずはこの言葉が必要不可欠だろう――
依頼者様、お許し下さい!!!!!!!
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さて『Lost Note Cemetery』――通称『ロスコ』を終わらせることが出来たのは、私にとって一つの突っ掛かりというか、肩の荷が下りたような気分だった。
この作品の連載が始まったのは昨年八月上旬、約半年とちょっとで感想まで走り抜いたわけだが――私の作品の中では、短編や単発作を除くと初めての完結作にあたる。つまりこの安堵感は、
「私でもちゃんと作品を完結させられるんだ……!」
という自信から来るものかと言えばそうではない。
ただそういう安堵の類であることも事実だ、厄介なことに。
それを説明するにはまず、『ロスコ』が生まれるまでを語らなければならないのである――私の怠慢の懺悔と共に。
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そもそもの発端はとある依頼であった。
『自分が実力を見込んだ物書きに、お金を払って自分の好きな作品のリバイバルを書いてもらいたい』
そう――つまりは割とマジの依頼原稿であり、契約原稿だ。
依頼者様に高く腕を買われた私は、この依頼原稿の話を受け了承したのである――ありがたいことで、断る理由もないからだ。
文章力と表現力を評価されるのは物書き冥利に尽きる。
商業作家を目指す実としてはなおさら、私は俄然燃え上がった。
依頼者様からリバイバルを頼まれた作品は『野菊の墓』。
伊藤左千夫先生作の、淡い恋心と死別を綴った恋愛小説である。
この作品の『恋心』と『死別』のテーマを貴方なりに解釈して物語にしてほしい――百合でも構わない、の言葉を決定打に引き受け、私はその日のうちに『純心と異端の園(仮)』プロットを完成させた。
『孤児院で育てられた、秀才だが人付き合いの苦手な少女・在祁愛理。
そこに付属する教会でシスターとして働く少女・熊取智慧。
二人はただの幼馴染――そのはずだった。
無自覚の想いが、世界の理が、やがて別つその日まで。
二人を待つのは、ごくありふれた当たり前の結末だった。
どうかこの想いが、あなたに届きませんように――』
あらすじだけでお察ししている人もいるかもしれないが、これが相当の自信作で、溺愛するもやむなしの出来だったと言える。
もうこの原稿は存在していないが、愛理と智慧の名前と設定だけは別の作品で活用しているのがその証拠だ――詳しくは『傷と天国の詩 - Angel hums love to Dark side of the moon -』を読んでもらいたい。
依頼を受けたのが三月上旬、〆切は七月七日――恋人達の夜、七夕。
これはいける、と私はほくそ笑んだ。
他の原稿をほっぽり出し、〆切の七夕に向けキーボードを叩き続け、やがて四万時弱の小説が完成し、あとは印刷するだけ。
だが奴は――落した。
印刷直前になってデータ移行に失敗し、およそ三万七千文字が消失するというとんでもないミスをやらかしたのである。
〆切の一週間ほど前――今更リカバリーなど、間に合うはずもない。
受け渡し当日、依頼者様に土下座する覚悟で赴いた私に、なんと彼は多大な温情と大赦を与えてくれた。私の〆切落しを許し、当初よりカットしてあるとはいえ結構な原稿料、そして別作品としてネットで更新する――つまりわかりやすい名誉挽回の機会を恵んでくれたのだ。
かくして私は零からこの原稿と向き合うことにした。
当初の設定と登場人物を一新――私が得意とする(と自分では思っている)ダークSFの世界観を土台に、感情に乏しい超能力者の少女が恋を知り、そしてそれを失うまでの物語を構築。焦点をメイン二人の関係と進展にのみ絞り、あえて世界観を詳しく説明しないまま、過去と現代が交互に入れ替わる、謎が謎を呼ぶミステリー要素もひとつまみ。
そして誕生したのが『Lost Note Cemetery』――通称『ロスコ』が全く通称になっていないことに気付いたのは結構最近――である。
今度の〆切は年末。期間としては約半年もある。
既に用意していた土台に彩りを加えるだけの執筆だ。
今度こそ私は依頼者様に酬いてみせる――そう決心して。
だが奴は――落した。
天丼ネタではない。ネタならどれだけよかったことか。
途中に百合文芸などの寄り道を挟みながらも終わるはずだった原稿は、なぜか師走の三十日付近になっても終わることなく、私はいよいよ腹を切って詫びる覚悟を決めた。ついでに返金の準備も。
しかし、あぁ――なんということ。
依頼者様はこれもまた大赦を与えて下さったのだ。
まさに仏。まさに神。蜘蛛の糸を垂らしたのはあなただったか。
そして先日、ついに『ロスコ』は完結したのである。
長い紆余曲折を経て、私のクソ野郎加減を見せつけながら。
それはもう――色々と思うところもあるわけだ。
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さて、ここまで太宰先生も驚くほどの、恥の多い生涯っぷりを晒し続けてきたわけだが――ここからはあとがきらしく、『ロスコ』に関する話をしていきたいと思う。
【世界観について】
土台は用意してあったと前述にある通り、そもそも『ロスコ』の舞台となる超常開発都市サイクロポリスと、サイキックその他周辺の設定は、当初別の小説で用いるはずだったモノである。
超能力者ことサイキックが跋扈する開発都市サイクロポリス、その光と闇に運命を翻弄される少女達――といった具合に。
漠然と練り上がっていたプロットは、私の未だ完治していない中二病と、そういうわかりやすい異能バトルが書きたい欲を満たすために生み出された世界――それが超常開発都市サイクロポリスであった。
一から設定を作り直す時間が惜しかった私は、自分の中で既に組み上がっていた世界観を間借りすることで『ロスコ』の執筆に取り掛かったのである。
どれだけ恥を晒せば気が済むんだお前は。
【ナルについて】
そして実を言うとナル――槇成美はその別の作品の内、主人公サイドのサブキャラの一人として設定されていたキャラである。
そっちの作品の彼女がどんなキャラだったかと言うと、
『主人公の相方の先輩。言葉数が少なく意味不明な言動も多いが、たまにグサリと人の心を抉る言葉を吐く。登場する度に違う魚料理を食べている。実はめちゃくちゃ強い』
とまぁ、どこぞの「天の道を往き総てを司る男」のような、はっきり言って変人のギャグキャラ枠が、その作品における槇成美であった。
今回『ロスコ』を執筆するにあたって私は、このまだ書いてもいない世界を舞台に、まだ書いてもいない人物の過去スピンオフを書くという狂気の沙汰のような手段を用いたわけだが――当然その代償はでかい。
キャラがはっきり定まってもいないキャラの過去を肉付けする、なんて経験が初めて過ぎて、結局終盤になるまでナルのキャラが安定しなかった。
無感情なのか無口なのか御淑やかなのかはっきりしろよ!という言動が目立つのは大体この所為。本当に申し訳ない。
完結まで描き切った結果、ちゃんと主人公の一人として好きになれたキャラでもあるので、機会があれば当初の立ち位置のキャラとしてまた書きたいと思う。
【タミ・民子について】
このあとがきを読んでいる人は、きっと『ロスコ』をエピローグまで読んだ人だけだと信じてネタバレ全開させてもらうと、神木民子の登場はプロローグ――それこそ第一話の時点で決まっていたのだ。
途中からタミの死が濃厚になってきて、ある時点で死が確定した瞬間「あれ、じゃあ冒頭の音は何?」と思ってくれたら御の字だった。
いかんせん書き方が下手だったのか、自分でも唐突感が拭えなかったのは反省点である。
神木民子にも喫茶店を始めた背景やら何やらは色々あるのだが――それもいつか別の作品で触れられたら、と思う。
【ヤオについて】
おそらく読者が一番「???」となったキャラがこのヤオこと、機械嶋八百だろうなぁ、という自覚は残念ながら私にもある。
急すぎる登場、わけのわからん信念、パワーバランス崩壊レベルのサイキック――羅列すると末期のソシャゲキャラかと思うくらいアレなヤオ。
前述のとおり別作品のスピンオフという立ち位置が『ロスコ』なのだとしたら、その別作品でラスボスを務める少女こそこの機械嶋八百で、つまり最初から説明も加減もゼロ、あくまで『災害』とか『不慮の事故』としての印象を強く残すつもりで描写されている。
当初の予定だとケムリが追手としてボスになるはずだったのだが、ナルが予想以上に強く、ただの発火能力じゃ勝ち筋一つ見えなかったため代打として呼ばれた哀しい背景を持っていることは秘密だ。
唐突ではあった彼女だが、その幸福論と信念は『ロスコ』に――ひいてはサイクロポリスを舞台とした作品のテーマへの問いそのもの。
完全な形でボスとして君臨するところを、書きたくないと言えば嘘になる。
【その他キャラ、サイキック、背景について】
他にも色々と語っていない設定、語っていない関係性、語っていない過去があるのは、あくまで『ナルとタミの物語』だったからである。
一応最低限、推理できる程度に情報と伏線はばら撒いたつもりだが――見せない線は複線にすらなれないので、わからなくても全然大丈夫。
「結局博士と先生ってどういう関係だったんだよ!」
「シズどうなったんだよ!」
「あのサイキックってどういうサイキックだったの!?」
等々質問があれば、遠慮なく私のツイッターに訪れてほしい。
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最近『生きる理由』というものを考えることが増えました。
死は解放であり救済である、という考えが私の中には依然在るのですが、それが絶対の答えでは、真理ではないことはちゃんと理解しています――ほんとですよ、嘘じゃないですよ。
その理由はどっちのタミもちゃんと言ってくれているので、ここではあえて割愛させていただきますが――命を賭けて、たとえ失うことになろうとも果たしたい夢や願い、それもまた『生きる理由』なのでしょう。
夢、願い、幸福、野望、希望――あるいは全部ひっくるめて祈り。
完結を迎えたこの作品で、結局誰が幸せになって、誰が不幸せになったのか――それは私にも、きっと誰にもわからないのです。
もしいつか、再びこの超常開発都市で物語が動き出すとしたら、それは『ロスコ』から約二年後、PSY-CODEがすっかりサイキックコードに移行したくらいのお話で――そしてやっぱり「自分の幸せ」を探す、ただそれだけの何ともつまらなくて、それでいて滑稽な物語です。
2020.0215 溝呂木ユキ