繕光橋 加さんの変数少女
https://kakuyomu.jp/works/16816927860166559273本当の所、西田幾多郎の『善の研究』を読み込んでから色々と書きたかったんだけど、1月末からブラック労働をしている関係で時間が取れなかった。純粋経験とかから僕と少女について考えたかったけども、面倒臭くなりそうなんで止めます。こないだKindleで100%オフだったので考えたい人は読んで見て下さい。
なので、ここではパラドックスの部分についてだけ考察したいです。常々思うこと何だけど、全知全能っていう概念を人は高尚に考え過ぎやしないかって話。全てが出来て全てを知っているってことだけど、多分ここら辺の解釈が人と違うせいか、神様ってモノを大した存在だと捉えていない節が自分にはある気がする。何言ってるか解かんない話何だけど、全知全能って、出来ないことがないじゃなくて出来ないことはない、知らないことがないじゃなくて知らないことはない。何かどう言い換えても正確に伝えられない気がするんだけど、神様に知らないことがないって言うより神様が知らないならそれは存在しないって感じ。だから、程度の違いがあるだけで神様も人も全知全能だと思ってる。多分、ソクラテスが無知の知とか言うのを忌々しく思うソフィストの魂が宿ってるんだと思う。割と悲観主義なので、社会問題とか格差とか戦争とか、そういうものが無くなるような、都合の良い方法や真理とか存在しないって考えてるんだと思う。後、全知全能の神様ってやつが居て、そいつが俺のこと知ってるって考えると、気持ち悪いから俺に対しては無関心で居て欲しいです。