モカ@猫の中の人過去話を記した物です。
暴力表現、性的表現が含まれます。
見たくない人は見ないでください。
小学校低学年までは
ただ、体が弱くてよく病院のお世話になるぐらいでほかは普通でした。
強いて言うなら体育の授業はしてはいけませんと言われ見学してたことぐらい。本当に普通の子でした。
まず、小学校での出来事をはなしましょうか。
小学高学年ぐらいのとき
理由は分かりませんが通常学級の男子集団から
からかいや言葉での虐め、周りの優しい子達を巻き込んでの悪口、体が落ち着きみんなと体育できると思った矢先に私の失敗を見て笑う、わざと怪我をさせるような行為。
皆様は特別支援学級というものをご存知でしょうか。
説明は省きますね。私はとある学校の特別支援学級のいわゆる初期生徒の一人でした。私より年上なんてだれもいなくて途中から通常学級に居たけどついて行けず支援学級に来た年上はいましたが、女子で私より年上は最後までいませんでした。年下たちからの優しいお姉さんという期待が私のおもりとなりました。優しいお姉さんという期待をしてきたのは大人たちもで、年下のお世話などをよくお願いされていました。まぁ、年下たちことは妹弟のように好きだったのでそれほど苦痛ではありませんでした。
高学年になってからクラスメイトにされてた
太ももを触られたり仲間はずれといった行為
仲間はずれにされるまでの流れは私が悪いので省きますね。
委員会の先輩にされてたこと
とある男の先輩が居て、その方は多分天性なるサイコパスみたいな人で
事あるたびにニコニコ笑顔で私の腕を掴み曲げてはいけない方向へと無理矢理曲げようとされたことがあったりと
で、あいつについてですね。
あいつというのは小学5年の女性教師(当時の担任)のことです。
あいつはほんとに自分中心だったんでしょうね。
運動が苦手な私に色々考えてくれたり、下手な手芸作品を褒めてくれたりと優しいところもありましたが、そんな部分は嬉しかったです。ほんとうに
でも、あいつがしたのは教師として赦されないことです。
詳しくは言えませんが、学校に男性有名人が来てお話を聞いたりとしたあと最後にみんなで並んでさようならをしましょうを的な流れになって(語彙力なくてすみません)みんな、キャーキャーと騒ぎながら握手してくださいみたいな感じで手を出したりしてて、でも私はその人のこと知らなかったから奥の方に居たのですが、さすがになにもしないのは悪いよなと思いその場で拍手をしてました。その後教室に戻り帰る準備をしてたら担任から
みんなと同じことをしないからと説教、意味がわかりませんでした。
なぜ、怒られてるのか理解できませんでした。
もう一つは私も悪いですけど
クラスで調理学習をすることになって
なにを担当する?という質問対して、みんながしたいことを優先したいという意味で「なんでもいいですよ。」と言ったのですが
その先生は「自分は関係ないと思ってるの?」と怒り出しいないものとして扱われて、ひどいときには胸ぐらを掴まられたり。
で、学校にはいじめアンケートを書かせられますよね。
当時の私にはいじめという意味が分からずいじめられてるのにも関わらずいじめられてませんと書いてました。それで当時の唯一の友達のいじめアンケートに私がいじめられてると書いたらしく、情報が担任に行き
呼び出されました。でも、私はいじめの意味が分からなかったのでヘラヘラとしててあいつから返ってきた言葉は「あなたのせいでしょ。」でした。
言われた時はものすごく傷がつきました。
私が悪い、みんなが普通なんだという思考の完全なる完成となりました。
あとは、給食のも話しますか。クラスの人数が少なかったので自分で盛り付けたほうが早く終わるということで自分のご飯は自分で盛るというシステムでした。そしてルール?として自分で盛ったものはどれだけ時間かけようが絶対に残さないことというのがあり。時間内に食べきれない私はみんなが掃除してるなか食べたりとしてました。食べ終わったあとはいつもお腹を壊してました。
学校話はこれくらいですかね。
続いて家庭内に関して
父親がとりあえず成績重視の人で
勉強の要求日々でした。具合悪るかろうが遅刻や休むのは成績に悪いから学校に行けと言われ行き、案の定教室についたときに熱が上がりぶっ倒れました。自由研究の際も勉強に関係するものをやったり、父親を逆らうと蹴るといった暴力という愛を与えられました。よくあったのは父親が夜遅く仕事から帰ってきて勉強を教えて貰ってる時に眠くなり眠そうになると
「せっかく教えてやってるだろ」と蹴る、殴るといった暴行
一番ひどかったのは家から追い出されたことです。
「お父さんとお母さんだけを信じればいい。お父さんとお母さんは味方だ。それ以外はみんな(名前)の邪魔をしてるだけだ。」とよく言い聞かせられる日々。ニチアサ見てるときと一緒にゲームしてるときとかは普通の親子みたいに仲良かっです。
父親からの暴力を守ろうとしてくれたのは母親でした。
「もうやめて!怖がってるじゃない」
私の母親は詰め寄り方が異常でウザかったですが
(チューしようと言ってきたり)
母親はロリータ服が大好きで、その影響で私は見るのが好きです。
ロリータ系の服屋店員のお姉さんたちとお話したり遊んでくれたり
パニエを履くときはタイツを履いてからしたほうがいいですよ。素足に付く感じで履いたらめっちゃチクチクします。
母親は私の生活に光を与えてくれました。
突然学校に行きたくないと言い出しても肯定してくれて受け入れてくれました。ショッピングモールにお出かけしたりと優しい人でした。
そんな優しい母親を壊してしまったのは私です。
精神が可笑しくなり父親もエスカレートした結果
私は毎晩のように発狂し泣き暴れるようになりました。
それでうるさい黙れと父親が私を蹴り、怒鳴り
そんな環境に置かれた人間は誰だって可笑しくなります。
母親はいつしか炊事をしなくなり、肉は毒と言い出し
父親と喧嘩するようになり母親まで発狂、物を投げるといったパニック状態に陥りました。なんとなく察すると思いますが離婚の話が始まったのはこの頃です。私は何度かやめて3人で居たいと言おうとしますが母親に大丈夫よと止められたりとなにも出来ませんでした。
最終的に母親が父親に無理矢理離婚届に印を押させ両親は離婚しました。
私達3人はバラバラに暮らすことになりました。
「また、3人再会できたらもう一度3人で暮らす」
そんな約束をしました。多分母親には届いてませんが
では、母親を失った後の話ですね。
父親方の祖母に引き取られ、父親の手が届かなくなった場所で暮らす事になったので一見安全ですが暴力の代わりに始まったのは脅迫でした。
「(進路)通常学級を選ばないなら縁を切るからな。」
新しい小学校の担任に相談しましたが
昔から父親を逆らえない私には絶対的なNOを出せませんでした。
結局父親が選んだ進路を選びました。
祖母から見た母親は子を捨て家を出ていった駄目な母親にしか見えてないので普通の親子がテレビに映るたび
「いいお母さんねぇ、それに比べあんたのお母さんは」と話し始めます。
今は(そうゆう感じの流れてたらすぐチャンネル変えるので)たまにですが、私が祖母の家にきた当初はいつもでした。とても苦しかったです。それを否定すると「そんなに母親がいいなら出てけ!」と言われるしと祖母の前では母親があまり好きじゃないフリをしています。
私はまだ、信じてます。帰ってきてくれると。
続いて 患ってる病気について
ここまで読んでどうせ精神的な何かだろうと
いや、違うんですよね。
私が患ってる病気は身体的な病気でして分かったのは数年前ですが産まれたときから持ってるものです。
病名は伏せますが指定難病にされてる稀な病気です。
生まれつき筋肉が少ない病気です。
主な症状としましては、すぐ疲れてしまう、睡眠時の呼吸が困難。
筋肉が無いんで体全体、臓器の力も弱くて本来動くべきことが動かなくて
臓器だと特に肺が本来の働きがちゃんとなってなく
睡眠時は呼吸器を使い過ごしています。
呼吸器がないとどうなるかというと寝てる間に出すべき二酸化炭素が体内に残り、吸うべき量の酸素が吸えず、朝起きたとき具合が悪くなってしまいます。体力に関しては歩けるには歩けるのですが長い距離は歩かけなかったり階段や坂がちょっと辛かったりと登れますが。体力に限界が来るとその場から動けなくなります。
熱とか出すとほんとに体が一切動かせなくなります。
病気に関しては深く話す気がないのでここまでにして。
次はなにを話しましょうかね。
恋愛観?どうでもいいですね、けどしますね。
まぁ、狂ってます。
置かれてた環境が環境なので真っ当な形で優しくされるとすぐ依存します。
これは男女関係なくです。
恋愛対象はどうなのか分かりませんが多分どちらもです。
私を知ってくれて心から受け入れてくれるなら好きになります。とてもチョロいです。
優しくてちゃんと私を見てくれる人がタイプです。あとわがままで私と一緒に☒んでもいいと言ってくれる人。
初恋の話は大雑把に言うと
辛かったときにとても優しくしてくれた男の子がいて好きになってストーカーしてました。はい以上。告白まであと少しのところで転校しました。
例の人も言っとく?
あの人は出会ったときになんか不思議な感覚がしたんだよね。
気づいたら惹かれてた。ただ、法律上赦されないからなにも言えなかった。
で、相変わらず(ネット)ストーカーしてると動いてないから情報は0なんだけどね。あの人には私の過去なんにも言ってないけどね。もしかしたら母親いないの知ってたかもだけど。言えたらよかったな過去だけでも。いや、言ったら終わりだな、受け入れてくれた場合私がどうなるか分からないから。
自殺未遂を繰り返した話
小学生のとき生きる希望を失い死ぬことしか考えなくなり、生きるの辛い+みんな私のこと嫌いなら、私が死んだら笑ってくれるのかなという気持ちから自殺未遂を繰り返してました。
してきたことと失敗談を記します。
1自分の手で自分の首を絞める
当時は知らなくてしてたのですが成長し調べると
どうやら人間というものは自分の力じゃ自分を絞め殺せないらしいです。
2家のお風呂で溺れようとする
時間とお湯が足りなかった
3轢死
車が飛び交う道路をわざと足を踏み入れようと考えましたが怖くてできませんでした。
4打撲?壁に頭を打つ
泣きながら打ってました。
でも、死ねませんでした。
5窓からの投身
部屋の窓を開けて身を出し座り
ずっと下を向くのはよくしていました。
ただ、当時住んでいた家の高さが死ねるほどの高さではなく怪我済むなと思いやめました。
不登校気味だった話
学校でも家でも色々あった結果
共働きだった両親は私よりも先に家から出て
朝頑張って起きてご飯を自分で用意して自分で給食セットをアイロンかけして準備して行くぞってなったとき
ピタリと体が止まって気付いたら泣いてて
遅刻の時間が過ぎるまで固まって
遅刻時間が過ぎたことに気づくとお姉さんというおもりまでどんと乗っかりなおなお学校に行けなくなりパニックになり泣いて泣いて両親にメールで休みたいと送って
母親はいいよと返してくれたのですが父親はだめだ行け
なんとしても気晴らしないとと好きなことをして過ごしてたらピンポーンと家のチャイムが鳴り、聞こえてきた声はあいつの声でした。嫌で数分無視してたんですが去る様子が無く。嫌でもみんなの前の自分になって外へ出て強制的に車で連行され学校に行ってました。
朝ご飯を食べてない日は学校につくと保健室で朝ご飯を食べてから教室に入りました。
新しい小学校での話
知らない場所、知らない人達怖くて緊張して自己紹介震えてましたが(前日の夜練習したのにね。)
小学校が変わってもお姉さんという期待は変わりませんでしたが学校という空間で初めて同学年、年上の女の子と関わりました。ほんとに少しずつでしたが自分でいることが出来るようになりました。
ちょっとだけとある子について触れましょうか。
それは新しい学校に来て最初に私に声をかけてくれた子です。最初の時は怯えもあり閉ざしてましたが少しずつ過ごすうちに心の壁は無くなり自分として笑えるようになりました。私を変えてくれた子です。
しかしその裏で新しいいじめもあり
ひとつは同学年の通常学級女子から
整列で歩く際にわざとらしく靴の踵を踏んできたり
ほうきで転ばせようとされたり
運動会の練習で走るのおっそと言われたり
練習での出来事は祖母、担任、通常学級の先生に言いました。正確には相談する気は無く祖母にこうゆうことがあったんだよ感覚で言ったら広まったという感じです。
(この子とは中学も同じだったので長く続きました。)
もうひとつは通常学級の多分低学年ぐらいの男女集団
下校中の出来事で2人の男の子が私の顔をを見て
笑いながら「ピーナッツ見たい、あは!は!」と言ってきて暫くしたら一緒に居た女の子が私ところへと来て
笑いながら「あなた、虐められてるんだよ」と言ってきたり。私は「そうなんだ」と返し内心ではどうでもいいやと思いながら帰っていました。これくらい慣れてるからなと思い誰にも言いませんでした。
中学での話は平和なのでする必要が無いんですよね。
通常学級の生徒となり
入学当初は周りからなんだコイツ?みたいな変な目で見られてましたが月日が流れるにつれみんなが私を見る目が変わり、その時ぐらいからかな中の人がお姉さんから妹キャラになっていったのは
みんなが優しくて優しくてさ
部活のみんなからは
なんかうるせえ子どもみたいな子イメージになって
ここで自称ロリコン変態サイコパスが誕生しました。
先輩だけじゃなく後輩からも優しくしてくれて
当時の部員たちへ
冬の帰り道歩くの手伝ってくれてありがとな。
手つないで氷道一緒に歩いてくれたり重いもの持ってくれたり重たいリュックを背負うの手伝ってくれたりありがとうございました。
通常で良かったのは
支援と通常を少しは繋げられたことかな。
みんなの本心はわからないけど少しでも支援の子たちは悪い子じゃない、良い子ってことを伝わってたらいいな。コロナで昼休みが無くなって支援の子たちと会いづらくなつたのは悲しかったけどね。
小説を創り始めるまで
小学生の時寝転がりながら面白い動画無いかなと物色してる中
かわいい女の子が写ったサムネイルが目に止まる。
ただの好奇心でその動画を見ました。
きっとその動画がそのゲームが私の人生を大きく変わる最初の一歩でした。
ホラーゲームだったこともあり当時は怖いことに耐性がなかったためトラウマになりました。でも、トラウマになるほど怖いのに見たいと思う自分も居て
いつしか怖いから面白いに変わってました。
ただここまでは好きになっただけでお話を創るきっかけではありませんでした。
心が壊れてた時の私にゆういつ心を開いてた友達が居ました。
その子は漫画家になるのが夢でした。その夢のお手伝いみたいな感じで私も簡単な漫画を描いてました。(その時からサイコホラー強かった)その時から何かを創るのは好きでした。母親方の祖母とよく電話越しで即興でごっこをしたり
小説を書くようになったのは小学4年生のとき
小学校って宿題で自習ノートとなるものがありましたよね。
当時私は何をすればいいのか当時の担任(あいつとは違う先生)に
「なにをすればいいんですか」と質問し、帰ってきた言葉が
「お話を書いてみたら?」
それが本当の創作家モカ@猫のはじまりだったのでしょうね。
余談ですが、
家族がどんどん消えていくという内容が私が初めて創ったお話でした。
次の話なんだけど
その、結構センシティブな内容になるので見たくない人は見ないでくれ。
(暴力とかじゃないです。)(Datulaへもし見るなら君は覚悟して見てね☆)
中の人が昔体を売っていた話
SNS インターネット世界に入り始めてた頃
怪しいチャットアプリで知らない人とよくお話しをしてて
裸体を要求され迷わず写真を送っていた過去があります。
物々交換が発生してました。
緑、黄色の意味を知りました。教えてくれました。
(過去に親から暴力受けてたのでダメージはない)
あとはチャット上でのエッッなことを求められたり
そこでSMを学びましたね。М側に見えるじゃん?S側やってた、、なんでだよ。なんなら相手に上手いって言われたし。
いつしてたかって小6だよ!!
初めてAV見たの小学4年、5年ぐらいで
(父親が録画フォルダー漁っていいよって言ってたから漁ったらAVにたどり着いた。)そこから探究心でそうゆうことを調べることになったね。インターネットにあるエッッな漫画を見つけたりとね。
まぁ、なぜこいつが下ネタとかを詳しいのかというとこうゆうことだぜ!
まあ、いろんな事があって
辛くて苦しくて死にたくて堪らなかった
生きるメリットが分からなくて
もういっそのこと死んでしまえたら全てから逃げれて
生き返ってやり直せるとも考えてた
こうなってしまってはもう二度と綺麗な世界には戻れないから
もう少しだけ綺麗な世界で生きて笑っていたかったな
そんなこと嘆いてもなにもかわらんけどな
さいごに
私には創作しかないし
創作してるうちは地獄の日々も無駄じゃないと思える。
創作してなかったら
今までの人生無駄だと考えてしまう
あのね
人生は創作の種なんだよ
誰しもが種を持ってるの
その種と向き合いどう育てるか
それで綺麗な華が咲くんだよ。
人間は汚いものを欲す摩訶不思議な生き物なんだよ。