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  • 現代ドラマ

新作候補②ー2 怪獣のスイング〜ゆえに世代最恐のスラッガーは"超"強豪校に招かれた〜

  第2話 ヤバいところに来ちまった

 小二か小三くらいのときにはもう、2コ上の兄貴よりも、俺の方が身体がデカかった。

 身長もそうだし、筋肉がつきやすいのか、骨格の問題か、そこまで太ってるわけでもなかったのに、横幅も俺の方がかなりあったような気がする。兄貴も決して小柄ではなくて、クラスの身長順じゃいつも2〜3番目くらいと言っていたのに。

 だから、と言っていいのか分からないけど、殴り合いのケンカとかになれば、俺の方が強かった。
 そんなだからか周りの大人は、特に両親は、ケンカが始まればすぐさま俺の方を止めた。

 それは兄貴に対してだけじゃなくて、誰に対してでも俺が誰かに暴力を振るうのは許されなかった。
 お前は身体が大きくて人より力が強いのだから、むやみに人に殴りかかってはいけないのだと、ときに怒られ、ときに諭された。

 今にして思えばそれは当たり前のことで、周囲の大人は常識で考えて常識のとおり俺を止めただけだけれど、当時の俺には不満というか、妙な燻りが胸の中に残った。

 なんで俺だけ止められるんだ、あのときはむしろ向こうから先に手を出してきたのに、って感じで。

 まあ、俺に対してだけ注意してきて相手はお咎めなし、なんてときもあったから、今でもやっぱり不公平だって思うけど。

 とにかくそんなだから、当時の俺は常にどこかムシャクシャしていた。なんていうか、思いっきり力をぶつける何かが欲しかった、なんて言うと、ちょっと危ないやつっぽいけど、フラストレーションみたいのはずっと溜まっていた。

 そんな俺が思いっきり力を振るっていい場所がグラウンドで、野球だった。

 それこそスポーツだったら、野球じゃなくても力いっぱいやったって怒られなかったかもしれない。サッカーでもバスケでもバドミントンでも。柔道とかボクシングみたいに直接相手を倒す、って感じの競技だと場合によっては止められたのかな、分かんねえけど。

 でも、俺が始めたのはたまたま野球だった。

 兄貴が、近所の公園で野球やるからつって、人数合わせとして無理やり連れられた。(兄ってなんであんな偉そうなんだろ。殴り合いのケンカになったら泣くのはいつも向こうなのに)

 そのとき始めて思い切りブン回したバットに当たったゴムボールは、どこに行ったのか分からなくなるほどに飛んでいって、そうだ結局、野球でも最初は周りに怒られたんだ。

 何やっても、力任せに全力でやったことは大体怒られる。
 けどそのあと親父に、そんなに野球をやりたいんなら少年野球チームにでも入れよ、そこなら思いっきりできるぞって言われた。

 俺の通ってた小学校は、四年生になるまでチームに入れなかったから、兄貴が先に入った後、小四になった俺もチームに入った。

 俺は下手くそだった。

 周りの同級生も大体似たようなもんだったけど、遊びなり親の指導なりですでにそれなりに上手いやつもいたから、技術的にはやっぱり下の方だったと思う。

 だけどボールがバットに当たりさえすれば、誰よりも遠くに飛んだ。

 同級生はもちろん、真芯で、上向きの角度で捉えた打球は、上級生と比べてもだいぶ遠くに飛んでいたと思う。

 ここでする野球は近所の公園でやる野球と違って、ボールをどれだけ遠くに飛ばしても怒られなかった。
 野球をしていた小学校のグラウンドには30メートル以上ある防球ネットが張り巡らされていて、ボールがどっかへいってしまう心配をする必要もなかった。

 そんな俺のことを兄貴はちょっと嫌そうに、恨めしそうに見ていたけど、(なんでだよ、弟の活躍を喜べよと思うけど)俺が初めてマウンドで投げた姿を見た後は、少し溜飲を下げたようだった。

 チームに入って2週間ぐらい経ったころ、監督に、ちょっとマウンドから投げてみろと言われた。

 肩も同級生たちに比べると強い方で、遠投をすれば上級生に負けないくらいの距離は投げられたから、ピッチャーをやらせても速い球を投げられるだろうと思われたのだろう。

 確かにスピードは結構あったと思う。でもコントロールが無茶苦茶だった。

 ストライクゾーンにボールが行かない。ワンバンしたり、ひどいときはキャッチャーが立ち上がって手を伸ばしても届かない高さに投げてしまったり。

 あれ、俺こんなにノーコンだったっけ?キャッチボールとか、内野や外野で送球してるときはこんなにひどくないのに、なんて、何度首を傾げたか分からない。

 逆に兄貴は結構コントロールが良くて、ストライクを取るのにあまり苦労をしなかったみたいだし、スピードも俺より少し速く見えた。(2コも上なんだからそりゃそうだろとも思うけど)

 そんな兄貴のプライドはどうでもいいけど、俺は野手に専念していた。投げるより打つ方が好きだったし、監督も俺のノーコンぶりを見てこりゃダメだと思ったのか、途中からは俺をマウンドに上げようとはしなかったし。

 五年生になったころには試合に出始めて、六年生になったころには四番を任されて、ホームランも結構打った。

 それが注目されたのか、県内では強豪らしいシニアリーグのチームに誘われて、中学に上がってからはそこで野球をして、そこでも結構打てて。
 
 今のところ、自分でもちょっとびっくりするぐらい順調な野球人生だと思う。

 シニアでの活躍も評価されて、全国の強豪校からも複数スカウトが来た。
 
 その中で俺は、関西の強豪校、常葉陰に入学することを選んだ。
 
 そこはとにかく強くて、甲子園に何度も出場し、優勝も複数回果たしている。どうせなら強いとこで、って思うのはフツーのことだろ?
 
 ただ、入学してすぐ、とんでもないところに来ちまったかもと思った。

 練習はキツい。先輩はヤバい。

 入ってすぐの1週間は体力をつけるための肉体トレーニングのみで、ボールは一切触らなかったけど、1日目の時点で身体が悲鳴を上げた。

 2週間目には一年生もノックやバッティング練習に参加させてもらえたけど、そこで練習している先輩たちがヤバかった。

 上手い。エグいほど上手い。

 ノックではどうしてその球が取れんの?って打球を処理し、走塁では瞬く間に塁上を駆け抜ける。
 ブルペンではみんなエゲツないボールを放っているし、シートバッティングではいとも簡単そうに鋭い打球を右へ左へと打ち分けていた。

 目の前でレギュラーの先輩たちのプレイを見せつけられるたび、自分とのレベルの差に愕然としてため息を吐いてしまったことは、一度や二度じゃない。

 今もヘトヘトになりながらノックの打球を追いかけつつも、俺をこの学校へスカウトしたジイちゃん(監督だったわけだけど)の言葉がふと脳裏を過った。
 
『うちで暴れろ、剛健』
『高校野球を、お前のバットでぶっ壊せ』
 
 ため息を追加でもう一回、吐き出してしまう。

(当分先のことになりそうッスよ、監督)

 マジで、ここからレギュラーになれんのはいつの話になんだか。

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