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人の役に立たない人生。

人に影響を与えない人生はあるのだろうか。
それはさすがに無いと思う。

人にとにかく嫌われる、疎まれる、どこに行っても煙たがられる。
内心はうんざりされている生が、この世にあるだろうか。

答えは。
私はそういう人もいると思う。
と答える。

そういう人は「どこか」で「孤独」に生きていると思う。

仕事をしない人生は悪きものか。
答えは、別にお金があって働かなくても生きていられる人がいるのも希望があってまあまあ、認めたい。
そう思う。
人生にメリハリや臨場感を持たせるのに億万長者が更に「仕事」をしたり。
「ボランティア」で世界の人々を救ったり、「趣味」の「爆買い」とかでおしゃれが発展したり、経済が潤ったり、プチプラで良いものが庶民に流れてくれば良いと思う。

自殺はいけないことか。
答えは、いけないかどうかは希死念慮なんて言葉や概念も長く生きてりゃ知る瞬間や人生もあるし、自殺は自分で自分を殺すこと。
いけないよ、って言っていいのかな、って感じだ。

殺人も人を殺すこと。ミステリーではあっても、殺人もまた、そこにシリアルキラーとかよくわからん怖い心理とか人物像があったとしても、人殺しは、心も体も人から奪う。金品まで奪うことも、名声も、尊厳も奪うこともある。

安楽死はいいものか? 認められるべきか。
苦しくて仕方ないなら、そっと眠らせてあげたい。
眠りたいわけじゃ無い人には、穏やかな日々と逸る心をどちらも持たせたい。
苦しくて、死にたくて、死にたいわけじゃ無いのに死にたくなってしまって苦しくて、そんな状態には。

頭の、頭蓋骨の中の悩みには、心音を聴かせて響かせたいけれど、

君の心には、響かない。

人生は今日も、生きている。
ただ人であるかどうか、判断される時がある。

障がい者は人か、と問う人がいた。
尊厳はある。あるにはあるのだが、「内心」。
たとえ、どんなに、支援する人がいたとしても。

生まれてきたことがわからない生を体感する時が、誰にでもあるかもしれない。


https://kakuyomu.jp/works/16818093079485690573/episodes/16818093079486393647

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