『性善説』か『性悪説』か?
時たま問われる議題だと思います。
多くの人は、性善説を信じたいでしょう。
人はみな、善であると。
しかし、僕は『性善説』は妄想、クソきれいごとだと思っています。
そもそも、たぶん皆さんが勘違いしているのが。
『性善説』は完全なる善を。
『性悪説』は完全なる悪を。
説くものではありません。
『性善説』は、人は生まれながらにして善の心をもっており、また後天的に悪を学ぶ。
『性悪説』は、人は生まれながらにして悪の心をもっており、また後天的に善を学ぶ。
つまり、両方の説とも、人は善と悪、両方の心を持ち合わせるとしています。
そして、もう1つ伝えておきたい勘違いがあります。
ここで言う『悪』とは、犯罪のことではありません。
人を殺めるのは、外道です。
そもそも、善悪という人の道から外れているので、論外です。
そうではなくて、悪とは『怠惰である』ということです。
人は元来、みな怠け者です。
働きたくない生き物です。
年がら年中、寝っ転がっていたいのです。
けど、それだと生きていけないから、仕方なく働くのです。
悪とは怠惰のこと。
そう考えると、『性悪説』の方が有力だということに説明がつきます。
この世には、たくさんのルールがありますよね?
でも、もし人が生まれながらにして善である。
つまり、めんどくさがらず、他人を思いやる心を持っているなら。
そもそも、ルールなんて必要ないですよね?
けど、事実として、この世にはたくさんのルールがあります。
それは、みんなが気持ち良く生活するために作られています。
それは、みんなが元は、とてもだらしない人間だからです。
だから、ちゃんとやりましょうよって、ルールが作られたんです。
つまり、人は生まれつき、悪である。
それは、怠惰であること。
ゆえに、この世にはたくさんのルールがある。
ああしなさい、こうしなさい。
みんなで健やかに暮らすために。
最後に、大事なことなので、もう1度いいます。
人は生まれながらにして、善(しっかり者)ではありません。
人は生まれながらにして、悪(なまけ者)です。
だから、僕は『性悪説』を推奨します。
だって、『性善説』って響きが重いし、ダルいし(笑)