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「椰子 -電車の女学校-」第3話と制服の謎

広島電鉄家政女学校の物語です。
昭和18年、春。広島電鉄本社二階講堂で、入学式と入社式が同時に行われました。

元在校生の方は入学式・入社式の記憶が曖昧だそうで、ほぼ創作と推測です。

制服支給の考察

講堂のようなところで撮影された第一期生の集合写真が残っております。

入学式・入社式の写真かと思いましたが、全員ズボンを履いています。モンペかも知れません。

当初、制服はスカートだったそうです。が、しばらくすると裁縫の授業でモンペに縫い直すよう言われたそうです。

また「乗務服」は入学・入社一ヶ月後に支給されたそうです。しかし女学校と乗務服を分けるかなぁ……。

写真を見る限り、同じ形なんですよ。

認可が下りてから半年で開校しているので、制服が間に合わなかったのか。

写真は独立乗務の際に撮ったのか。

なので入学・入社式では、あえて制服には触れませんでした。すみません……。

https://kakuyomu.jp/works/16817139556583434921/episodes/16817139557122015746

2件のコメント

  • 以前、テレビドラマなどで観たことあります。原爆に被爆して負傷した女学生が、市電を運転する姿を観ました。おそらく、ズボンだったと思います。
  • コメントありがとうございます。

    女学校第一期生の方は、スカートが配られたが、すぐモンペに縫い直すよう言われたと証言しています。

    お祖母様が家政女学校に通われていた、さすらいのカナブン先生の漫画「原爆に遭った少女の話」では、はじめだけスカートを着用し、乗務服をモンペに直すシーンがあります。

    なので仰るとおり、被爆時はズボンまたはモンペを着用して乗務していました。

    ただ手元の証言集では、ズボンを着用した第一期生の写真が掲載されています。

    第一期生入学時点の制服はスカートのはずで、証言集では入学一ヶ月後に乗務服が配られたとあり、集合写真ではズボン……。

    通われていた方は入学式当日の記憶が曖昧で、多くの資料を焼失したので、わずか80年前のことでありながら、不明な点が多いです。
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