「とことん青春を書き殴った。後悔がないと言えば嘘になるけれど」
高3の終わりにこんなフレーズを書き残して、僕は母校を卒業した。ここで言う後悔とは、友達ともっと遊べば良かっただのあの子に告白しとけば良かっただのという未遂に終わった後悔を指すのではなく、例えば教室で思いっきり性癖を暴露しなければよかっただとか身バレしやすいペンネームで文芸部に作品を投稿しなければよかったといった、過失のほうの後悔である。やらないで後悔するよりやって後悔しろとは常套句だが、世の中やらないほうがいいこともある。そう思っていても僕は度々やらかしながら生きているけれど。いろんな意味で悲惨とも言える高校時代を抜け出して今まで何とか生きてこられているので、世の中捨てたものではない。
しょっぱなから話が逸れた。作詩は自分にとって過失的な後悔の一つだったが、同時に青春の一つだった。数年ぶりに自分の作品を見返して改めてそう思う。自分は文芸部に入ったことでそれがどんな形であろうと自己との対話をせざるを得なくなった。気が向かない時だって自分の正の部分と負の部分を見つめる呪縛に陥っていたのだ。その呪縛が文芸からしばらく距離を置いた現在にも響いているのだから、「文芸に携わらなければこんな呪縛にはかからなかったのにな」とは思う。だけれど、同時に自分の抱えている靄を形にして昇華する過程を歩めたのは、多感な思春期の自分にとっては良い経験になったようにも思える。
今回挙げた作品集は、なんだか明るく前向きなフレーズが多用される作品ばかりではあるが、筆者である自分は表向きには好青年だった(はず)。まあ、元々の性格的にあまりにグロテスクだったりパンクだったりする作品なんて到底書けなかったんだけど。とにかく真摯に愚直に素直に書いていた。自分に素直に書いていなかったら3年間も文芸を続けていなかっただろう。自分に対して素直だったという意味では、自分の気持ちを丁寧に受け止めていたし、それを形にしようとしていたし、それに精いっぱい努めていたから、野球部員がグラウンドで白球を追いかけるのと同じくらい青春の汗を流していたと思う。室内で。
これを機にまた作詩、というか文芸活動的な何かをやりたいな、という思いもある。細々と、自分に素直になりながら書けたらいいなと思いを馳せながら、今回はここで筆を置くことにする。