四十を過ぎた辺り、もう人生の半分を通り過ぎたかもしれない。思い起こせば、10代の頃は競技スポーツに明け暮れており、そのおかげで大学進学ができた。管理されたカリキュラムへの窮屈さへの反抗心は人一倍強かったが、それを行動に表すほどの度量もない、いわゆる「普通」の高校生だった。恋愛もしたし、仲間もいた。今でも連絡を取り合い、年に1、2回酒を飲む程度の友人もいる。
大学に進学できたのは、部活動の成績が良く、その競技を続ける事を条件に推薦枠を得たからである。私自身は、その競技が嫌いでも好きでもなかったが、それを通じて仲間ができたり、試合の緊張感や勝利の感覚などは好きだったから、続ける事で働かずに楽しい時間を過ごせるものなら……。と進学の手段としてしか考えていなかったのだ。
私にとって大学進学には目的も何も無かった。今思えば、一応みんなが勉強していた時間を運動・スポーツに置き換え、見え方は違いうが私なりに努力した結果だと思いながらも、急に目の前に降って湧いた大学進学という選択肢に飛びついただけだ。だから、進学する事が決まってから、なぜ進学するのかとか、どうしてその大学なのかとか、担任の先生と一緒に考えたりした。
そんな大学生がまともに単位が取れるわけはなかった。笑っていいとも!より先に目が覚めれば、「あぁ、今日は早く起きたなぁ」と思うほどで、大学に行くのは学食で昼なのか夕なのかわからない食事をとるくらい。しかし、なぜかモテていた私はある一人の女性と半分同棲しているような格好で、性的に悩むことは無かったし、その他の女性との「交流」もそこそこあった。とはいえ私は酒が飲めなかったので、合コンなどでの出会いは皆無であり、なぜ様々な女性と「交流」があったのかは思い出せない。
そもそも何が目的で、何が手段なのか、そして自分がどうなっていくのかなど考えたこともなく、そんな怠惰な生活で四年間過ごしたわけだが、なぜか卒業してしまう。この辺りは日本の大学教育の問題ともいえるだろうが、現に私は卒業生として存在していることは間違いない。
目的や手段。これは考え始めると大変に難しい。それに大半の人たちはそれに気が付かずに、世の中の流れに身を任せているのではないだろうか。だってその方が楽だから。考えると傷つくからだ。何のために生き、何のために仕事をするのだという永遠の問答に入り込んでしまったら最後である。少なくとも私はそう感じたことが多かった。
「おっさんは夢を見るか」
見たい。
誰もが見たいし、それを望んでいるが、それによって傷ついたり苦しんだり、諦めたりして、見ないようにする。理想を自分に当てはめ、はみ出してしまうのは社会のせい、仕組みのせいだと安酒を飲みながら誰にも届かない愚痴をこぼす。家に帰り眠りから覚め、言う事が利かなくなってきた足腰に二日酔いの血中に残ったアルコールを注油し、薄い生え際を見て見ぬ振りしながら寝癖を整えて支度をする。いってらっしゃいの返事が無くても「行ってきます」を言う通過儀礼を済ませ、また昨日と同じか、それより嫌な仕事や同僚の顔を思い浮かべながら出勤する。
夢は見ても、忘れてしまうものでちょうどいい。捕まえられない蜃気楼をいつまでも追いかけるような好奇心やエネルギーに費やすほど余裕などないのだ。
自分自身がまさにそうだと気が付いたとき、何かを始めたいと強く思えた。
得意なことはないけれど、好きな事に時間を使ってみてもいいような気がした。そして好きな事のために時間を作ってみる事もいい。時間は勝手に生まれてはこないから。
無駄な事かもしれないけれど、無駄と知りながらそれを楽しむことができるのは、もしかして「おっさん」だからこそなのではなかろうか。