いつの間にか、藤の季節が終わってしまって、そろそろハナショウブの季節だなぁと地元の少し有名な花の名所を思い出しながら、毎日を過ごしています。マキトウです。
さて、カクヨムで活動を初めて早くも4ヶ月ほど経ちました。そのうちに飽きるだろうと思っていましたが、なかなか、自分の大切にしていた言葉を棚に並べるものの楽しさからは逃れられないようです。
文芸部で友人と創作していた頃は「詩」が苦手で、俳句や短歌のほうがわかりやすいなぁとそちらばかり韻文はやっていたので、この年になって初めて詩に向き合った数カ月だったと思います。伝えたいことを文ではなく言葉で伝える韻文は、やはり散文よりも難しいなぁと思う日々ですが、少しでも誰かに何かを伝えられるといいなぁと。
近況に書くようなことではないかもしれませんが、ここで興味深かった話を1つ。
意思疎通を可能にするには、互いに同じ世界に生きている必要がある。というお話を。
「海」という言葉が通じるには、私たちが人間である必要があったという話です。
人間の身体が欲望が海からの恵みを欲し、海の脅威を恐れそれから逃れたいというまた新たな願望や、それ以外のいろいろな関心が混じって「海」という言葉が生まれたのならば、例えそれが「アハヤナ」や「ハワラ」という音で表されていたとしても、その言葉を聞き込むうちに、それを話している人間の様子を見聞きするうちに、貴方はそれがいつかは「海」だと理解できるでしょう。
人間との関心なんて、どんな人もほとんど変わらないのですから。
私が言葉を操っている時点で、人間である時点で、人間の世界でしか生きていないということを思い知らされた話でした。
少し、わかりにくかったでしょうか。噛み砕けないことを強引に言葉にするとやはり、無理が生じますね…。
とまあ、そんなわけで、これからも世界の中で感じたことを言葉にしていくと思うので、気が済むまでおつき合いください。