稀代のアーティストZABADAKの吉良知彦さんが亡くなり
半ばただいま呆然としている最中です(;_;)
低音ジュール様、拙作エッセイ『夢追い工房』にレビューくださり
ありがとうございます。まさか女性だったとはっ 失礼(。_。*)
後ほど作品も、きちんと読ませていただきます。
曲がりなりにも自分自身のような体験を人様も同様にして
らっしゃる、同じ気持ちを抱いてらっしゃる、ということに
触れて、あらためてああ、もしかしたら人には壁なんて
存在しないのかもな?と思ったりします。
案外自分は自らが傷つく怖さゆえに、不用意に人との接触を
直接避けていたりするのかな...などと今さらのように反省。
先月頭のZABADAKの地元公演でも、好きな音楽を共に
楽しむ同好の士が集まっているというのに、どうして何となく
独りでいるしかできないんだろう?という疑問が胸の中に。
でも故・吉良さんが面白い話をしたり勿論その珠玉のギター
プレイで聴く耳を楽しませてくれたりする度に会場は一つに。
そういうのが音楽の最大の魅力だと思います。...本当に合掌。
自分にとっては最初で最後の吉良ZABAライブとなって
しまっただけに。本当に突然すぎて嘘のようで涙も出ない。
最後に残るのは、その歌声と星空の宇宙にまで届きそうな
稀代の音楽の力。結局そういうことなんだ。人の肉体は
滅んでも、その魂は死ぬことはない。こうして残された
作品に、それに触れる人の心の中で未来永劫生き続ける。
音楽も文章書きも、創作そのものの醍醐味というのは、まず
そこにあると思います。私もそんな自分自身の片割れである
魂のこもった作品を世に残したい。本当にそれだけです。
最後に吉良さん、ありがとう。ライブで一度だけ目が
合って恥ずかしかったけど、とても嬉しかった。あの時、
吉良さんの目は「うん」と言っていた... 音楽を通じて
心が触れ合えた瞬間の、それはとてもかけがえのない
一瞬でした。それは同じ時代同じ空間にいたことの至福。
生きているというのは、たぶん、そういうこと。
作品を通じて間接的にでも、人と触れ合える。
創作活動の肝って結局、最後はそこなんだよな。
どんな形であろうと、受け継いだ魂を大事に次へと
バトンリレーする。だから表現するということは、
心そのものの発露であり魂そのものの受け渡しでもある。
そう考えると、やはり決して自分ひとりだけのものでは
ないんだな、ということに気づかされます。本当に感謝。
謹んで吉良さんの御冥福をお祈りいたします。
天国でも楽しく虫採りなさってるのかな。
それと星空の宇宙で思う存分、その音楽を堪能してください。