いくら自分自身が心を砕き、魂を注ぎ込んでも
その渾身の文章の連なりが誰かの目に留まることがなければ
誰かの心に届かなければ、何も書かないのと同じ
何も存在しないのと同じ
いつか誰かに拾い上げられる運命がなければ
それはやはり「運」なのだと思った
ある人の作品は多くの人に読まれ評価も高い
が、そうでない読まれず評価も低い作品も
当然のことながら存在する
これが「運」そのものの違いでなくて何なのだろう
完成度が高く面白い作品を書けるのも「運」
作者自身に魅力があり苦もなく書けるのも「運」
たとえ同じ努力をしたとしても同様になれるとは限らない
こればかりは本当にどうにもならない
「運」そのものの不平等ということは有りうるのだろうか?
そしてそれを是正することはできるだろうか?
教えて神様、もう何も書けない
「運」などに左右される世の中ならば
ただ自分だけの世界に閉じこもっていろ、
そう言われているのと同じ