12月5日、鹿児島県鹿児島市の繁華街である天文館を舞台にした「天文館探偵物語」が公開されました。我が街鹿児島では、全国公開に先駆けて11月21日に公開されました。
僕は2015年に初めて天文館探偵を書き、そのあとワナビになって本格的に天文館探偵を書き始めました。今年2025年で10周年になります。ワナビになったあと、親友(こいつは僕の天文館探偵に登場する市倉ってYouTuberの元ネタです)にちょいちょい天文館探偵の作品を読ませたりしていたのですが、そんな親友から「天文館探偵物語」が公開される前に「おい! お前のコンセプトがパクられてるぞ!」と連絡がきました。僕は「天文館探偵物語」のことを言っているんだな、とすぐに気づきました。僕は親友に対し、「天文館探偵というコンセプト自体は誰でも思いつく」「僕のパクリってより、たぶんススキノ探偵のパクリ」ということを説明しました。
しかし、親友のその指摘で僕はこの映画を見ることに決めました。で、公開直後に見に行きました。
結論から言いますと、僕が書いた天文館探偵のほうが億倍面白かったです。プロットもサブプロットも取っ散らかりすぎていて、最終的に何も解決していない物語に僕は怒りさえ覚えました。
何が一番腹が立ったかって、「探偵」というガジェットを物語の推進のためだけにとりあえず状況付与しましたというその姿勢です。そのせいで何が発生していたかというと、「天文館」「探偵」「物語」というタイトルなのに、探偵という存在がノイズとなって物語を邪魔しているのです。この映画は、「探偵」という存在さえなければ「天文館」ひいては鹿児島という土地を舞台にした映画として非常に好ましいものとなっていたはずです。とりあえず主人公探偵にしとけばいいやという制作側のとりあえずという意図が透けて見えるのが本当にまずい。探偵というのはそう簡単に扱えるガジェットではありません、なぜならめちゃくちゃ非日常な存在だから。探偵を扱うということは、ある種ファンタジーを書くことと同義です。だから、探偵を物語に組み込むのであれば、探偵がそこに存在することに意味を持たせ、違和をなくすことに全力を注がなければならないはずなのです。
「天文館探偵物語」はその努力を怠りました。だから僕は僕の考えた最強の天文館探偵を公開するにいたったのです。
もちろん僕が探偵という存在を描き切ったとは思っておりません。ただ、深慮の努力の痕は感じ取っていただきたい。
この10年ワナビをやってきて、探偵を描くことは本望となりました。これからも理想の探偵を描けるよう精進してまいります。