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仏教の種子について

仏教の種子(しゅうじ)って唯識の1つで要は植物の種子(しゅし)のようにいろんな可能性があるよということですが
実は『暗黒竜の渇望』に出る「闇の種」(ダークワン)って要は闇の種子なんですよ。闇堕ちするきっかけにすぎない。「闇の種」を飲み込んでも真に絶望してなければ変身中に四散してしまう。でも真に絶望してい者のみ闇の者になれる。
そういうことなんです。ちゃんと名前には意味があるんです。

でもこのことを誰も読者(読みあい会含む)は指摘してくれなかった。私は悲しい。もちろんトラブルのもとになるから表立って「これ、仏教用語です」とは言えないのだけど。

このように『暗黒竜の渇望』って半分は哲学に片足突っ込んだ作品なんですよ。じゃあ唯識って何だってことですが視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の5感に加えて意識が来ます。意識というのは仏教的に第六感と言います。シックスセンスとも言います。さらに2種類の無意識というものがあって末那識と阿頼耶識があります。合わせて八種の「識」が唯識です。

末那識は要は潜在意識の事です。阿頼耶識は意識のOSみたいなもんです。Windows95とかWindowsXPみたいなもんです。阿頼耶識はバージョンアップしますしダウングレードも出来ます。同時に無意識の部分ですがセキュリティーホールもここで生まれます。

善になる唯識もあれば悪になる唯識もあるって事です。

ただしヒンズー教と違い識も肉体も常に変遷する無常のものです。

この知識を知った後で「闇の種」を飲み込んで暗黒龍になるとわかったら見方がまた全然変わってくるでしょ?
https://kakuyomu.jp/my/works/16817330647877241956/episodes/16817330647877390387

でもね、残念なことに読者はこのことを誰も指摘しなかった。

だからこっそり書き込んだ。ヴィシャップがうずいていた無意識の良心のうずきとは「末那識」の事なのだ。無意識というのは2つあるんだ。

https://kakuyomu.jp/works/16817330647877241956/episodes/16817330647878592725

末那識は単に潜在意識のみならず我執も生み出すのでまさにヴィシャップが起こす凶行の心そのものというわけです。

「阿頼耶識」は漫画作品の『聖矢』でも有名になった言葉ですが発刊から約35年、我が国は大乗仏教の国なのに一般化出来ませんでした。いつか『暗黒竜の渇望』がメジャー作品になれるといいなって思ってもっと難しい用語に変えたことを報告します。そして勘違いしてほしくないのは「俺は別に仏教を強制する立場じゃねえよ」ってことと「日本人ならせめてこのくらいの言葉は知っててくれ」って言いたい。

これを文学で表現すると「もののあわれ」なんですって。江戸時代に大流行した勧善懲悪的作品と全然違うって事だ。

最後に。作品って読者が作り出すものと思っている。読者のレベルが低いからラノベは「俺ツエー・チート・ハーレム・悪役令嬢・溺愛・ざまぁ」に落ちたんだ。俺はそう思っている。

なお「末那識」についての用語解説も追加した。
https://kakuyomu.jp/works/16817330647877241956/episodes/16817330647878865677

僕は中学生であってももうこのくらいは知ってても良いと思うし中学生が一番嫌うのは「子ども扱い」だと思ってる。じゃあなんで中学生はラノベを捨てて児童文学に走ったのかというと中学生向きの児童文学はずばり「子ども扱いをしていないから」だと思う。そのうえで勉学に資する文学を提供するというミッションをこなしているからだと思ってる。

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※密教における種子は種字の事でありまた意味が別のものになるので要注意。密教における種子はキリークって意味で梵字の頭文字の事を言う。真言、要は呪文になる。よく板碑にある。

※コメントに対する追記:十二神将は正式名称十二夜叉神将と言って薬師如来を守る十二の夜叉神の事ですが実はここに拙著『暗黒竜の渇望』のラスボスであるインドラ(帝釈天:因陀羅)も入ってます。宮毘羅はこんぴらさんの事ですね。
ちなみに十二夜叉神将は十二支にも該当します。ちなみに安倍晴明が式神(要はパシリ)として使う十二天将と十二神将は別物です。念のため。

4件のコメント

  • 「阿頼耶識」とかは漫画の「関節王」(三倉 佳境)に出てきたりするので何となく聞いたことある程度です。聖徳太子の預言とか、四天王とか出てくる。終末論的な怪物とか。
    あとは阿含宗の桐山靖雄の本とか、本格的な仏教哲学とか。

    SF作家の半村良の「妖星伝」にも十二神将出てきたり、「因陀羅」「宮毘羅」何かやたらにかっこいい記憶はある。

    親族が聖徳太子に仕えていた秦河勝を祀ってる秦氏系統で、兵庫県太子町や赤穂市(秦河勝本拠地)で、妹は法然上人の子孫と結婚したのに、全く仏教哲学が分かってないです。

    「闇の種」(ダークワン)と絶望がセットにならないと、真の闇落ちはない。

    最近は金持ちの先輩の影響で株式投資に目覚めw、陰謀論的な物からの脱却を図ってますが、相変わらず、世界観や小説の作風はアレだし、この世はやっぱり仮想現実のような物だし、基本は絶望しつつ、人生楽しむかという所ですね。



  • 貴重なご意見ありがとうございます。
  • はじめまして。
    拙作を読んでくださり、ありがとうございました。
    近況ノートのタイトルが気になって、こちらを拝読いたしました。
    個人的に哲学と宗教、歴史が好きで関連する書籍を興味のおもむくまま色々と読んでいるのですが、『唯識の思想』『空の思想』は難解で、きちんと理解できないのです……特に末那識、阿頼耶識。わかったような、いややっぱり分からないなぁという心境を繰り返しています。
    なのでこのノートをたまたま読ませていただいて、『阿頼耶識は意識のOSみたいなもん』という表現を見て、「あ! なるほどー!」と思いました。理解に一歩近づいた気がします。(気がするだけかもしれませんが)

    大変興味深いノートでした。
    ありがとうございます。
  • ありがとうございます。拙著『暗黒竜の渇望』をどうかよろしくお願いいたします。
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