カサンドラ(with日傘)と王子が町であった時のお話
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彼の名前は、クライブ・オーレイン。
二十半ば、男爵家の三男坊――という、騎士団内では特筆すべきことも無い平凡な出自を持つ青年である。
爵位を持った家に貴族として生まれようが、家名を継げるのは長男の後継者だけだ。
他の子ども達はそれぞれ、何らかの伝手を経て身を立てる必要がある。
多岐に渡る選択肢の中で最も無難かつ、将来の憂いがない場所と言えば――真っ先に思い浮かぶのが騎士団だろう。
特に腕さえ確かなら、重用とは言わずとも見合った職位に就くことができる。
勿論軍閥があって立ち居振る舞いには細心の注意が必要なのだが。
のらりくらりと派閥争いから避けていたところ、何故かジェイクと一緒に仕事に携わる機会が多くなっていた。
彼自身が派閥ゴリゴリの人間をあんまり近づけたくないようで、その行動の結果だと思う。
本来は今日、騎士団の職務として市中警邏の外回りでジェイクと同行する予定だったのだが。
何故か騎士団の門前に、ジェイクではなく王子が立っていた。
ざわざわ、と同じく数名の同僚たちも動揺し始めた。
そんな自分達の様子を眺め、王子はそこに集う騎士達一人一人の名前を呼ぶ。
「クライブ、久しぶりだね」
余り接触する機会のない、顔を合わせた事も数度あるかどうか。
それでも自分の名前を王子に憶えてもらっていたことに驚きつつ、敬礼をする。
「今日はジェイクに頼まれて、私が替わりに同行することになった。
宜しく頼むよ」
彼の言葉を受け、同行するはずだったジェイクの姿が脳裏を過ぎる。
普段職務に対して真面目な人間だから、たまにこういうイレギュラーな事があっても周囲は割と寛容だった。
クライブも彼が遊んでさぼっているなんて思っていないので、王子の登場に驚いたというだけだ。
「畏まりました。
……成程、ジェイク様は今日執務室に籠りきりと」
「どうしても明日は休みたいと言っていたからね。
外回りの身代わりになって欲しいと」
極めて軽い口調で王子――アーサーはキラキラ眩しい笑顔で微笑みかける。
決して女性的な美しさを有しているわけではないのに、彼の美貌は男女問わず人を惹きつける力があった。
自国の王子にそんな事を頼む騎士がいるか、という話なのだが。
皆「しょうがないなぁ」という生温い雰囲気だ。
何となく、ピンと来るものがあるらしい。
そう言えば「明日は絶対に出仕しないから、用があっても絶対探すな!」と強く言われていた事を思い出す。
……休むにしてもロンバルドの私邸に馬を向ければ呼び出す事が出来る彼が、『探すな』とまで厳命するのは珍しい話だ。
よっぽど重要な会食や打ち合わせでもあるのか? と思ったクライブである。
「王子とご一緒出来るなど限りなく光栄なお話です」
先輩騎士の一人が恭しく述べると、クライブも皆と揃えて頭を下げた。
元々王子は騎士団に出入りすることも多く、騎士の多くと顔馴染みの仲であった。
弟というには畏れ多いが、彼の事を疎んだり嫌っている騎士を今まで見たことがない。
まぁ、王統を継ぐ唯一の王子に喧嘩を売るようなアホな騎士などいないだろうが。
※
その日はとても天気が良く、春の陽射しが暖かかった。
街に出歩いている人たちは皆一様に表情も明るく、小さなもめごとやいざこざも見受けられない。
ここまで何もない平和な日も珍しいと思うのだが、騎士達と共に警邏を行う王子の姿のお陰なのだろうかとクライブは思った。
外出用に外套を纏い、姿勢良く颯爽と道を歩く王子の姿はとても目立つ。
ここに王子がいるなんて全く周知などしていないというのに、そこに立っていれば自然と大勢の視線を集めてしまうのだ。
だからこそ王子の護衛の任に就く時は常に気が抜けない状態で、四方を警戒する必要がある。
熱い視線に混じってどこから矢が射かけられてくるのか分かったものではないからだ。
中央大通りの市場(いちば)をぐるっと見渡し、さて次は職人通りに向かおうかと同僚と目配せをし合う。
代替とは言え王子を長時間警邏に付き合わせるのも気が引ける、トラブルがないのならさっさと次の目的地へ向かうべし、と。
だが、そんなクライブの思惑は次の瞬間完璧に粉砕、瓦解してしまったのである。
「――キャシー! 偶然だね」
突然、何かに気が付いた王子がするりと自分達の傍から離れてしまったのだ。
この場においても自分達に気を遣い、できるだけ単独行動にならないよう気を付けていた王子の行動とは思えなかったので唖然とし、彼の背中を視線で追う。
「……!? お。王子!?」
アーサー王子が駆け寄った先には、メイドを連れて歩く一人の女性がいた。
真っ白で上品な日傘をさし、空色のワンピースを着る”お嬢様”。
曲がりなりにも職務代行の最中に、嬉々として知人に駆け寄る王子の姿を見たのは初めてである。
あまり接触がない王子相手とは言え、噂や本人を目の前にすれば彼の為人(ひととなり)はよく分かる、かなりレアな状況だと呆気にとられるクライブ。
いや、それよりも何よりも――……
日傘を下ろし、戸惑った様子のお嬢さんに話しかける王子の本当に嬉しそうな笑顔に二度吃驚だ。
立場上ゆえか、その年にしては大層大人びて見える彼。常に王族御用達のアルカイックスマイルで周囲の人の視線に応えているという印象が強い。相手に対して公平で、親友に対して以外はフラットな応対。
だというのに今、全く抑えきれていない喜びが王子の顔から漏れ出ている不思議な光景が繰り広げられている。
クライブは思わず目を擦りそうになった。
日傘のお嬢様は、一見すると顔立ちが整い過ぎていてキツい性格を印象付けるような姿である。
だが王子に話しかけられた直後の驚きと、それが過ぎた後の奥ゆかしいはにかんだ笑顔に変わる様のギャップが第一印象と大きくて遠目から見ている自分もドギマギした。
すらっと背が高く、金色の長い髪の上にツバの大きな帽子を目深にかぶるお嬢様。
ははぁ、彼女が噂の王子の婚約者か、と。
クライブは彼女の姿を失礼にならない程度に垣間見る。
初めて見る王子の年頃の少年らしい姿に吃驚したけれど、先輩たちは特に驚いた風でもなく素知らぬ風で見守るばかりだ。
恐らく学園の行事に携わった事がある騎士ばかりなのだろう、既にレンドール侯爵家のお嬢さんの姿を良く知っているに違いない。後で問いただしてみよう。
これほど噂と実物の乖離が激しい人間も珍しい?
王子の婚約者に対する評価、評判が騎士団のみならず王城内でも真っ二つ状態な奇跡を思い出し、クライブはその理由を悟った気がした。
確かに第一印象は、気の強そうなお嬢さんにしか見えない。
眉の角度がやや鋭いせいなのか、美人なのになぁ、という感想しか出てこないのだけれど……
こうして王子と街中でばったり出会って語り合う姿は、可愛らしい深窓のご令嬢にしか映らない。
パッとすれ違っただけでは到底分からない、不思議な印象を併せ持つ女性である。
噂だけ、一見しただけでは美しいがゆえに悪女っぽく見えてしまう。初対面から”損”な印象を抱えないといけないなんてちょっと不憫だなぁ、と思えた。
どうやら王子も自分の現在の立ち位置を思い出したらしい。
名残惜しそうな口調、表情でカサンドラに話しかけている。
更に――不満そうな表情で彼女に危険性を伝え始めた。
「人通りが多いとはいえ、何かあっては大変だ。
……騎士の誰かに家まで送らせよう。
本当は私が付き添いたいけれど、ジェイクの替わりにいる以上持ち場は離れられないからね」
平和で何事もない街並みだ、ということは見回っていた王子自身も良く理解しているだろうに。
事件の欠片もない、平穏な大通り。
だが女性二人で出歩いている彼女を心配する王子の心配ぶりに内心で苦笑した。
とても形だけ、書面の上だけの婚約者に向ける態度ではない。
心底心配しているのだろうなぁ、婚約者殿の事を可愛がっているのだろうなぁ。
何と言うか、二人の間に漂う雰囲気が凄く爽やかで甘酸っぱいというか、見ているこちらが若干の気恥ずかしさを覚えてしまう。
再び日傘をさして恐縮するカサンドラに、王子は更に満面の笑みを浮かべてこんなことを宣(のたま)った。
「その日傘、とても上品で良いね。君に良く似合っているよ。
ああ、君は元々綺麗だから何を身に着けても似合うけれどね」
お、王子……!?
本当に貴方は王子ですか、本物ですか!? 実はラルフ公子辺りと入れ替わっていませんか、とクライブは心の中で絶叫寸前だ。
普段女性への対応が苦手で困っている姿を良く見ているだけに、衝撃的な彼の気障ったらしい台詞に目玉が飛び出る程驚いた。
……社交辞令じゃない、という事が一層クライブに戦慄を走らせたのである。
これには――先輩騎士もニヤニヤを隠しきれない様子であった。
※
何故かカサンドラを家まで送る役を王子より直々に仰せつかったクライブは、緊張に動きを固くしながら彼女の隣を歩いていた。
隣、とは言っても少し距離をとり、周囲への警戒は一切怠らない臨戦態勢状態であるが。
そんな自分に、カサンドラは困ったように声を掛けてくれた。
「申し訳ありません、お仕事の邪魔をしてしまって」
末端の騎士に気遣ってもらえるとは思っていなかったので、喉の奥から飛び出かけた軽い動揺の声を呑み込んだ。
彼女の外見が性格を表すものなら、王子がいなくなったら当然とばかりに目つきを険しくして、クライブにつっけんどんに当たってきそうなものだ。
実は送り役を申し付けられた時、クライブはそれを覚悟していた。
王宮内を席巻していた噂だって、決して火のないところに立ち昇ったものではないだろう。
王子の前での可愛い態度を見ていればあんな噂は吹き飛ぶが……
もしも視界に王子がいなかったら!?
婚約者が慎ましやかに行動するのは王子の視界内限定の話で、彼と別れたら偉そうな侯爵令嬢に豹変してしまうのではないか!?
怖い。
もしも気を損ねてしまったら首が飛ぶのではないかと冷や冷やものだった。
だが完全に杞憂だったようで、張り詰めていた緊張は全く無意味と化す。
「いえ、王子も仰っていた通り要人の警護も私どもの職域です。
いくら平和に見えても、良からぬ輩がいつ何時現れるか分かりません。
王子の心配も当然のことでしょう」
「ありがとうございます。
わたくし、軽率な行動をしてしまったようですね。
王子にお詫びとお礼をお伝えください」
日傘を少し傾けて、カサンドラはこちらを見上げて軽く頭を下げた。
申し訳なさそうな表情で、ぺこっと。
身長の関係上、どうしても上目遣いになってのお辞儀になる。
白い傘から覗く、彼女の白い肌や翡翠の双眸が視界に広がって息を呑んだ。
外見とのギャップが大きいからか?
自分の妹よりも年若い美しい少女だからか?
……可愛いな!
と、クライブの脳内で大騒ぎが始まり、ガンガンと鐘が打ち鳴らされる。
「ジェイク様も今日は極めて多忙とお聞きしました。
無理をされないよう、どうか騎士の皆さんで助けてあげてくださいね」
遠慮がちにそう”お願い”してくるカサンドラの真意をうかがい知ることはできなかった。
驚愕のあまり固まるクライブに気づいたのか、彼女は少し慌てた様子。
……ああ、余計な事を申しました、と。首を軽く横に振るカサンドラの姿がクライブの印象に強く残る。
婚約者である王子のことだけではなく、現状政敵に近い立場のクラスメイトまで気に掛けているのか……。
いい子だな!
たかが男爵家の三男坊が評することさえ憚られる大きな身分差があるというのに、つい叫びたくなる事態が続く。
自分は騎士団で働き、上官に従う騎士だ。
彼女の言うことを真に受ける必要などない。
だが――私情を挟んで言うことを叶えてあげたくなるくらいの威力があった。
※
「え? なんでお前ら手伝ってくれんの?」
普段”自分のことは自分で”と細かい雑務まで全部自分でやりたがるジェイクから、クライブ達本日の警邏担当騎士は揃ってそれらを奪い取る。
皆に合流するため王城に戻った途端、『どうだった!?』と。
一斉に同僚たちに囲まれ、彼女の言葉を伝えた結果が今である。
気味が悪いと言わんばかりのジェイクの視線を受けたが、就業後彼の執務室に集った同僚たちは黙々と彼の机の上から紙の束やファイルを持ち去って行く。
いつもなら要らん世話だと怒る彼も、余程明日は休むという意志が固いのか――なんと今回に限っては礼まで言われたのだから余程のことだ。
その夜、騎士団の一室で遅くまで煌々と明かりがともり、何人もの影が入れ代わり立ち代わり動いていた。