二部の遠乗りのSSです。
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リゼと遠乗りで、こんな山奥の原っぱまで来てしまった。
景色は良いし、誰もいない静かな場所だからお気に入りのスポットなのは確かなのだけど。
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隣からスヤスヤと寝息が聞こえてくる。
それが耳に届いた瞬間、ジェイクは上体を起こしてその場に座り込むことになる。
胡坐をかいたまま――腕を組んで大変複雑そうな、苦虫を噛みつぶしてもしたかのような顔で、草っぱらに仰向けになって寝入っているリゼの姿を見下ろしていた。
お腹も膨れ、気温も丁度良く、朝から馬に乗り続けていたので多少の疲れは感じる。その上心地よい陽射しだ。
つい寝ころんでうとうとしてしまっていたけれど。
本当に彼女まで午睡態勢の入ってしまったことに、ジェイクは何とも言えないモヤモヤとした気持ちに苛まれていた。
リゼは完全に寝入っているようで、少々微睡(まどろ)むというレベルではない。
他に誰かが訪れるわけもない草原の片隅で、それはそれは安心しきった様子で寝入っているのである。
その状況はジェイクにとって「良かった」と安堵する反面、相反する苛立たしい話でもあった。
どれだけ異性として見られていないのかと、ギリっと奥歯を噛みしめる。
かと言って、警戒されればされたでイラっとするのだろうから我儘なものだ。
リゼと一緒にいるのは楽しい。
楽しいを通り越して、もはや彼女に会うためだけに学園に通っているようなものである。
今日も何とか以前の約束を引っ張り出して誘ったはいいが、もしも忘れ去られていたらどうしようかと無駄に胃が痛かった。
彼女に限っては他人との約束を忘れるような不義理な人間でもないけれど、もしも『フランツさんも一緒に!』なんて言われたらと考えると込み上げてくるものがある。
可能性が考えられないわけではなかった。
リゼが乗馬の訓練を始め、付きっ切りで教えているのはフランツだ。
遠くへ出かけるとなったら、付いて来てもらおうと言い出しても何ら可笑しくない。
仮にそうなった場合どうやって当日フランツの用事を増やしてやろうかと真剣に考えていたが、幸い何の障害もなく二人でここに来ることが出来たわけだ。
初めて馬に乗るという時はあんなに悲惨な状態だったのに、良くもここまで乗りこなせるようになったものだと、素直に感心したジェイクである。
彼女の努力は見てきたが、負けず嫌いもここまでくると清々しいなと思う。
しかも今日はリゼが昼食を作って持って来てくれたのだから、嬉しくてしょうがなかった。
「おー、これすっげー美味いな!」
どんな料理が出てきても喜んで食べただろうが、どれも本当に美味しかった。
二人きりで一緒に食べた時間は、幸せのピークだ。
なんだかんだ、餐館で食べに誘ったところで完全に二人きりという時間は持てない。
同室には当然のように給仕が畏まって控えているし、学園の昼食など席さえ遠く離れていて一緒に食べるどころではない。
あまりにも浮かれていたことと、腹が減っていたことは事実なのであっという間に食べきってしまったことに心の中で大いに悔いていた。
――もうこんな機会は持てないかも知れない。
食べ過ぎて大きくなった腹を擦っていた最中、ふと黒い感情が思考を掠める。
今の時間がとても幸せで嬉しいはずなのに、腹の底にモヤモヤが溜まって行くのを自覚せざるを得なかった。
自分は彼女の級友で、よく言って友人というに過ぎない。
彼女に対して気軽に声を掛け、遊びに誘うことが出来ても――それは学生時代の今だから出来る事、ジェイクにもリゼにも決まった相手がいないから出来る事だ。
仮に自分に無理矢理相手をあてがわれたとしたら、それがあからさまに政略の相手でもリゼとの交友関係は終わってしまうだろうと思う。
リゼは普通に常識のある女の子なので、婚約者がいる男性に気軽に話しかけるようなことは絶対に嫌がるはずだ。
そして自分は――甘んじてそれを受け入れるしかない。
リゼに対して何の権利も持てない人間だ。
かつてカサンドラに言われた言葉が未だに記憶の奥に燻っている。
『貴方はリタさんの今後の人生の全てに責任を持つ覚悟がおありだったのではないのですか?』
特に意識したわけではない、リタに対する行動。
それを見咎めたカサンドラがハッキリと自分を諫め忠告した時の言葉である。
確かにリタの事は気になっていたけれど、別に彼女の事を”好き”だったわけではない。
責任をとれと言われても「無理」だと素直に思えたし、軽はずみな行動は彼女に迷惑をかけるのだと思い知った。
ただの学生時代の軽い火遊びという表現で終われない立場なのは知っている、余りにも身分差がハッキリしすぎていて――
カサンドラが言っていたように、自分が「欲しい」と思えば難なくそれを手に入れることが出来る立場で、だからこそその言葉は重く責任を負わなければいけない。
リタを守るためにも、一度特別だと言い切ってしまえば最後まで責任をとる義務がある。
それを「後のことは知らん」と放棄してしまえば、周囲から謗られ信用を失うのは当たり前の話だ。
そこまで束縛するつもりは全く無かったし、軽い言動だった。
リタの人生に責任を負うつもりは毛頭ない。
仮にそんな事を言い出したら、リタ本人にも恨まれラルフにも背後から刺されかねないので絶対あり得ないけれども。
刺されるだけで済めばいいが、彼を敵に回すのは色んな意味で嫌だ。
カサンドラもあんな事で一々詰め寄って怒らなくてもとあの当時は勢いに圧された事も懐かしい。思えばあの時釘を刺されたから、多少慎重に行動するようになったのだ。
直前のミランダに誤解を生じた件で、ここまで影響するのか!? こんなことで!? と明確に思い知らされたので猶更グサッと突き刺さった。
ああ、でも……
リゼなら、責任をとりたいなぁ、と思ってしまう業の深さに吐き気を覚える。
その思考に行きつくことが、心底嫌だった。
『欲しい』と思えば手に入る、それこそ本人の意思も無視して、だ。
彼女は真面目だ。
仮に他に気になる人間がいても、自分が『欲しい』と言えば逆らわないかもしれない。
それくらい、貴族と平民の立っている場所の高さは違う。
無理強いしたくないなら、断る権利を彼女に持たせて「好きだ」と言おうか?
結局ジェイクが今の立場にある以上、受け入れてくれてもそれが真実本心かは分からない。
断ることは不利益だ、失礼だ、とい悩んだ末に頷いてもらったとしても永遠にリゼの本心は闇の中だ。
無理強いしたかどうかも分からないままではないか。
仮に、だ。正直に「無理」と断られたとしたら?
――その瞬間、関係性は崩れてしまう。
こうやって一緒に二人で遊びに行くことは愚か、学園でも避けられてしまうかもしれない。
下心があるなら困る、と家庭教師の件も辞退される可能性の方が高い。
それは嫌だ。耐えられない。
彼女を避けていた期間、よくよく思い知ったはずだ。
結局は離れるのが耐えられない、他の人間と話しているだけでも腹が立つ。
遠くから何も出来ないままモヤモヤするくらいなら、今まで通りつかず離れずの友人の位置で一緒にいる方がマシだ、と。
自分が堪えることで関係が継続するなら、そっちの方が良い。
そう決めたはずなのに、
”手に入らない”という焦りや寂しさが独り歩きして、堪えられなくなった時――
自分がどんな行動に出るか、考えただけでも腹が立つ。
無理矢理、自分の傍にいるよう強要するのか!?
押さえつけて閉じ込めて、そう命令するのか?
――クソ親父と何が違うって言うんだ。
絶対違う、俺はそんな事は絶対にしない。
相手の気持ちを無視して強引に手に入れるなどありえないことだし、皆を不幸にするだけだ。
第一、普通の女性なら裸足で逃げ出したくなるような自分の家の環境を「受け容れろ」「気にするな」なんて言えるわけがない。
堪え性のない我儘で相手の人生をぶち壊すなど、自分は絶対したくない。
だが今の状況でそれが出来る、可能だ、という事態に苛立ちを感じずにはいられなかった。
いずれ自分の傍からリゼが遠ざかって、彼女が別の人と普通の恋愛をして普通に結婚して、じゃあそれを心から喜べるのかと言われてると想像もできない事に嫌気がさす。
こうやって悩む事自体が、自分があいつの血を継いでいる証拠だと思うと嫌悪感しかわいてこない。
どんどんどんどん、気持ちばかりが膨れ上がっていて自分で抑えられない分水嶺に迫っているのではないかと自覚すると、自分の事なのに怖いと思う。
今の関係を続けるのが一番誰も傷つかないと分かっていてもなお、最悪の事態が想定され――それが絶対に無い、と言い切れない自分が嫌になる。
人の心なんて、簡単に手に入らない。
自分の事さえよく分かっていないのに、他人の心を好きに動かそうなど無理な話だ。
だが、やろうと思えば難なく自分のモノにできると言う状況が良くない。
一つボタンを掛け違えれば、笑って無茶を通せてしまう自分の立場が怖いと思う。
……嫌われたくないから、しないだけだ。
じゃあ、もしも向こうから、避けられて嫌われてしまった後、自分は…………?
嫌わてしまえば、おしまいだ。嫌われることを怖がって躊躇う必要がなくなる。
開き直った自分は何をするのだろう。考えたくない。
「………。」
その時、隣で寝入っていたリゼが僅かに身じろいだ。
草原を吹き行く風は優しく、優しい花の香りを運び、小鳥の囀りが周囲に木霊する。
こんな状況でなければジェイクだって昼寝を続けていたことだろう。
ふと視線を彼女の方に向ける、ぎょっと目を剥いた。
別に何と言うことはない普通の光景のはずなのだが、全く何も気にせず眠りに落ちている彼女の姿をまじまじと見てしまったからだ。
見聞研修の旅行時のとんでもハプニングに比べれば遥かにマシな状況かもしれないが、”誰もいない”というこの山奥だからこその密室状態という逆説的な危機感を抱く。
例え何があっても、誰も駆けつけ助けに来たり、自分を取り押さえたりできない『二人だけ』の世界だ。
こいつ、意外と――
そろりと手が動いた。
が、すぐにその手の甲を反対側の指で思いっきり抓る。
真っ赤に腫れ、血が滲む程強く爪を食いこませ、その手を止めた。
そして恐怖に心が凍る。
今、自分は何をしようとした?
真っ赤に腫れた自分の手を陽の光に透かすように掲げ、力無く笑う。
「何やってんだ、俺は……」
自分で全てを壊すつもりか、折角『幸せ』な今を台無しにするつもりか。
信用なんて一度失ったら戻ってこないんだぞ。
ああ、もう自分一人だけ起きているからこんな事ばかり考えるし、取り返しのつかないような失態をしてしまうところだった。
彼女は自分の事を異性的な意味で全く何とも思っていないから、こんなに無警戒に昼寝に興じていられるのだ。
自分だけそんな風に悶々とするのは、百害あって一利なし。無意味だ。
何もしでかさないよう、自分も寝てしまえ!
ジェイクは再び、ゴロンと叢の上に身体を倒した。
彼女の息遣いが聴こえないよう、少し離れたところで。
※
「ふぁ……よく寝た……
って、ヤベ!」
本気で寝てしまった事に気づき、ジェイクは跳ね起きる。
どうやらリゼはとっくの昔に目を醒ましていたようで、気づかなかった自分に呆れる。
まだ少し頭がボーッとしている、冷たい水で顔を洗えば少しはシャッキリするだろうか?
「どうしたんです、その手。
凄く腫れてません?
――もしかしてそれ、虫ですか?」
指をさされて、「あぁ」と先ほどの失態を思い出す。
あれは無意識なんかじゃなかった。
明確な意志を以て、 彼女に触れたい と動いた手。
言うことをきかない、どうしようもなく”悪い手”だ。
「そうそう、悪(デカ)い虫がいたんだよ」
今度同じことがあったら、自分はその虫を退治できるのだろうか。
やっぱり、二人きりにならない方が良いのだろうな。
……分かっていても、この距離感を手放したくない。
結局自分は、地団太を踏んで我儘を言う悪ガキそのものなんだろう。