今月よりクローレス王立学園最上級生に進級したベルナールは、現在大変苛立ちを抱えていた。
あまり気性が穏やかな方ではないと自覚している彼であるが、今日は目に見えて不機嫌オーラを醸し出している。
※
「……ふぁ……」
隣で歩くシンシアが、掌で軽く口元を隠しながら欠伸をした。
毎朝、ベルナールは一学年下のシンシアと学園に通っている。
自分は言わずもがなのレンドール地方出身なので通学は不可能、そして通える別宅や親戚筋など王都にはいない。
もしも自分が女の子であったら同郷であるカサンドラの別邸を間借りして通うことも考えられたが、流石に現状それは出来ない相談であった。
なので当然男子寮から通学している。
まぁ、ベルナールだけではなく八、九割の男子生徒は寮住まいだ。
王子や三家の跡取り息子たちが特別寮から通っており、寮生活をしていると自然と彼らとエンカウントする確率も高い。
顔を覚えてもらったり親しくなるのに生活環境は近い方が何かと都合がよく、去年から男子寮は容量オーバー寸前というありさまである。
割を食ったのはベルナールや特待生だ。
所謂中央の上層貴族にコネがない金の無い男子生徒は、それまで使用していた上等な寮部屋から順にところてん式に押し出されかなり不便で遠い小部屋に押し込められることになってしまった。
何せ今まで自宅から通っていた、通うであろう坊ちゃん層が一斉に入寮してくるので――便利な部屋から使用権が溢れ出すのは自明の理である。
ハッキリ言って、王族やら何やら高貴な一族に全く関わることのないベルナールにとっては、一層暮らし辛い環境になってしまった。
彼が入学以来ずっと心中に不機嫌を飼い続け、自暴自棄とでも言える反抗的な態度になってしまうに足る住環境だったと言えるだろう。
――元々我慢が足りないと言われればそれまでだが。
一方、シンシアの実家は王都内に拠点を構えるゴードン商会だ。
通おうと思えば通える距離なのだが、親御さんのはからいで寮生活を余儀なくされているのだとか。
女子寮に通うお嬢さん達と親しくなり、人脈を広げるようにとのお達しらしいが……
引っ込み思案で人見知り、大人しいと三点揃ったシンシアには大変過酷な環境と言えただろう。
毎週末のように実家に帰っては、”何も無かった”事を報告するだけの日々だったそうだ。
去年の夏頃、ベルナールは縁あって彼女と出会った。
学園に通う女子生徒の一切を毛嫌いしていたベルナールにとって、彼女はまさに理想が人の形をとって歩いているような現象で。
何とか交際にこぎつけ、諸々の経緯を辿って彼女が学園を卒業してしばらくしたら結婚しようという話でまとまっている。
今から将来が楽しみでしょうがない――が、そのためにはまずちゃんと卒業をしなければいけないので、最近は結構真面目に授業を聞いているし試験も頑張っているベルナールである。
ドロップアウト寸前だった去年と比較にならない健全化ぶりに担任の教師は目を疑っていたのだけど。
自分の生活態度を一変させた彼女と一緒にいられる時間は、ベルナールにとって何よりも大事だった。
彼女には彼女の生活があるだろうし、と一応それなりに遠慮して誘いをかけているとはいえ。
うっかり自分の失言のせいで拗れていたモヤモヤも解消し、再び楽しい交際期間。
だが生憎、シンシアは完全に上の空状態だ。
かなり眠そうである。
ベルナールとは比べ物にならないくらい生来生真面目な性格の彼女が、何の理由もなく夜更かしなんてありえない。
――原因は、一目瞭然。
「おいシンシア、大丈夫か?
寝不足だったら医務室で休むか?」
「……え? そんな大げさなことじゃないから。
心配してくれてありがとう」
掌を横にパタパタと振られ、ベルナールも押し黙る。
にこっと笑う彼女にそうきっぱり言われては、何度も無理に強要するのは憚られる。
だが口は完全に「へ」の字型に結ばれ、眉間に濃い皺の影が見えた。
内心、怒りに燃えている。
カサンドラの奴、シンシアをこき使いやがって!
彼女の依頼に同行した日から、苛々は蓄積されていく一方だった。
なんで生徒会の仕事をシンシアが請け負わないといかんのだ。
確かにシンシア本人の趣味であり、やりたいことであり、結果的に得をすることなのかもしれないが……
食器選びだか何だか知らないが、そんなことにも駆り出して。
その上更に追加で頼み事なんて。全く無関係の人間に対して図々し過ぎやしないか。
「はっ、まさか……!」
ベルナールの脳裏に、過去何度も煮え湯を飲まされ続けたカサンドラの姿が蘇る。
浮かぶ彼女のイメージは、記憶にあるように意地の悪い笑みを浮かべ、女王様か何かかと空目するようなふてぶてしい態度で上から目線で自分達を見下ろしていた。
『ベルナールの継ぐウェッジ家はレンドールの傘下。
ベルナールはもとより、嫁入り予定のシンシアを自由にこき使うのは当然の権利ですわ』
高笑いの幻聴さえ聞こえ、ベルナールは頭を抱えた。
自分とかかわりを持ったせいで、彼女が不利益を被るというのは耐え難い話である。
彼女はしなくてもいい夜なべ仕事で、ずっと机に向かってうんうん唸りながらペンを動かしているのだろう――
その甲斐甲斐しい姿を想像するだけでベルナールの胸は抉れそうな痛みを発する。
そもそもドレスなんかなんだっていいだろ!
頼まれごとを容易く断れないシンシアが、曲がりなりにも将来の結婚相手の――”主君《アレク》”の姉の頼みを受け入れざるを得ないことなんて分かり切っていたことなのに。
全く、カサンドラに似合わない腰の低い態度で誤魔化されるところだったが、十分職権濫用だ。
これは是非クレームを入れなければ……!
未だに眠たそうに眼を擦るシンシアを隣で見下ろしながら、ベルナールは一人決意に燃えていた。
この話を知っているのは一般生徒ではシンシアと自分しかいない。
他の誰に言っても理解される悩みではなく、彼女が眠そうにしている理由など分かってもらえないのだ。
「じゃあ、また放課後な」
階段の踊り場を上がり、彼女と別れる。
眠すぎて階段から転げ落ちやしないかとハラハラしていたが、どうにか無事に二階に辿り着いてホッとした。
自分が言わねば誰が言えるのだ、と。
ベルナールは自分の教室に鞄を乱雑に投げ置いた後、しばらく腕組みをして歯を食いしばっていた。
※
生徒会に抗議するということは、とりもなおさず王族やら三家に喧嘩を売りに行くようなものである。
だがそれを嵩に着て威張り散らすような人間ではない、ということはベルナールも良く分かっていた。
去年の今頃ならいざ知らず、彼らが新入生として入学して一年以上が経過した――
ジェイクを始め、王子もシリウスもラルフも皆大変評判が良く誰かの恨みを買うようなこともなく、今学園が平和で落ち着いているのは彼らのおかげだろうとベルナールも分かっている。
彼らが目を光らせているお陰で、目に見えて虐めのような問題も鳴りを潜めている。
取り巻きを使って何かをやらせるタイプではなく、偉い家のお坊ちゃんにしては常識があって偉そうな態度はとらない。
裏ではどうかまでは知らないが、少なくとも表面上は好い人達だと言えるだろう。
そんな彼らが、生徒会とは無関係の一生徒のシンシアを指名する状況は考え難かった。
いくらカサンドラのドレスの件で実績? があるとはいえ。
新しく新調する貸し出し用のドレスのデザインなんて、後ほど問題が起こらないとも言いきれないクラスメイトを使う必要がないではないか。
どうせカサンドラが、王子や彼らへの点数稼ぎとしてシンシアを使っているに違いないのだ。
第一、カサンドラは良い感じにシンシアを説得するために「王子の推薦」があったと言っていたが、本当かどうか怪しいものだと今になって思う。
話を聞いた時は王子の発案なら受け入れるしかないと矛を引っ込めたのだけど。
後々考えれば、カサンドラは引き受けるつもりがないなら、辞退してくれて構わないという話も一緒にしていたではないか。
それはおかしい。
王子直々にお達しがあったなら、問答無用で断る権利もないだろう。
カサンドラが「辞退しても良い」なんて勝手に言えるはずがない!
本当は彼の発案ではなくて、カサンドラが勝手に婚約者である王子の名を出してシンシアを従わせただけでは?
全部自分の手柄にしようとしているのだ。
シンシアの性格上、王子に直接確認することもないだろうし、彼の名を出せばシンシアもベルナールも臆して従うだろうと見越して……
……そうだ。
そうに違いない!
そう結論付け、ふん、と鼻息荒くベルナールは階下に並ぶ上級生の教室へと向かった。
教室内でカサンドラを糾弾すれば、彼女も提案を引っ込めざるを得ないに違いない。
他人の目を異常に気にするようになったカサンドラのことだ、これでシンシアを面倒ごとから解放してくれることだろう。
気合を入れて、ベルナールは一歩一歩勇気を振り絞って前に進む。
いくら最近大人しいとはいえ、カサンドラに面と向かってクレームを入れたら昔みたいに暴言の雨嵐が降って来るのではないかと戦々恐々だ。
だが自分しか彼女の健全で健やかな日常を取り戻すことは出来ないのだ、という使命感に燃えて廊下をズンズンとひた歩き……
「………。
………?
……………!?!?」
ベルナールは今までこの廊下を朝通ったことがなく、知らなかったのだ。
去年まで毎日のように通っていた上級生の教室が並ぶ廊下だが、進級すれば用は全くなくなってしまう。
シンシアと話をするのは互いの教室から離れた場所であることが多かったので、余計に足が離れて久しい場所だ。
何故か朝の廊下は殆ど人影がなく、ベルナールはどこか違和感を抱いていた。
だがその理由は一目瞭然である。
廊下の窓側で、カサンドラと王子が二人で仲良く談笑している姿が目に飛び込んできて度肝を抜かれた。
今までの彼女達の雰囲気とはあまりにも違う姿に自分の目を疑ったが、どうやら見間違いではないらしい。
完全に二人の世界状態で、他の生徒達が遠慮しているのか殆ど廊下に出てこない様はいっそ異様でさえあった。
当人達に自覚があるのかないのかは分からないが――
この状態の彼らに声を掛けられる人間も多くはないだろうな、という事だけは分かる。
少しずつ近づいていても、カサンドラは王子との話に夢中なのか全然こちらの視線に気づきもしない。
「……………。」
まさか王子と一緒にいるなんて想像していなかった。
確かに最近、カサンドラと王子が今までとは違って親密に見えるという話は聞いていたが、ハッキリってどうでもよかったから聞き流していた。
他人の恋愛模様に一切合切興味などない。
だが――この桃色のオーラは耐え難い。
もしかして、自分もシンシアと一緒にいる時はあんな感じなんだろうか……。
他人の姿を目の当たりにし、自分の行いを省みる。
客観視とは大切なことだと独り言ち、すっかり出鼻を挫かれたベルナールは何だか見ている方が恥ずかしくなって回れ右。
そのまま階段を駆け上がり、自分の教室に戻ってしまった。
まぁ、シンシアが本当に音を上げるようだったら王子がいようが桃色オーラを纏っていようが知った事か。
絶対に追及してやるんだと心に決めたベルナールは、自分を納得させる様に腕組みをして強張った表情を浮かべていたのである。
※
その後――たまたま廊下ですれ違ったジェイクに、奇妙な要請を受けた。
シンシアが考案するドレスのデザインに、一着は赤を入れておいてもらうよう注文があったのだから戸惑うのも当然だ。
なんでジェイクが一々そんなことを言って来るんだ?と 困惑し首を捻ったが、他の生徒より段違いに気易く話が出来る相手なので遠慮なく詳細を聞く。
……ホントに王子が言い出した事だったのか!?
あ、あぶねぇ!
めっちゃあぶねぇ!
危うく王子の発案に大クレームを入れてしまうところだった、とベルナールはしばらく顔から血の気が引いたまま動けなかった。
石像のように固まった自分を、ジェイクは意味が分からないと言った様子で不思議そうに眺めていたのである。