<観劇会前の裏話>
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夏休みも既に残り僅か。
学園の生徒達は長期休暇を満喫しているだろうが、生憎彼らは王城で忙しなく”上”からの指導を受けている。
とは言っても、これは自分が希望したせいなのだが。
父である国王の強い要請もあわさり、彼は現在文官の一人と言う立場でいくつかの雑務を任されていた。
政に少しでも関わっていくことでより見識を深め発言権を得て欲しいと言う王の意図は分かる。
それに末端とは言え国政に携われるのは興味があったし楽しかったので、学生なのに仕事を任されている事に異論はない。
重要な法の草案に携われるわけではないが、地方や中央から送られてくる奏上やら定期報告やらに触れる機会はあった。
尤も、基本は同じ作業の繰り返しだ。
申請の書状に不備があるだの印章が薄いだの、そんな間違い探しをさせられると目が痛くなってくる。
シリウスのようにいきなり領地運営が出来るわけではないし、少なく狭い直轄領の管理を代行しようとしたら宰相が難癖をつけてきたのだから引っ込んだ。
――アーサーは半分以上、諦めている。
どうせ三家から飼殺されるのだろう。
だが今後一生王城に軟禁されてしまうのなら、少しでも自分の居場所が欲しい。
雑務でも下級官吏の仕事でもいいので、役に立ちたいと自ら志願して文官達と多くの時間を共に過ごしていた。
だが覚えたことが多くなるにつれ、次第に戦力扱いされ始めていくのは当然の流れだ。
夏休みは高官の一人から拝み倒され、人手不足の担当箇所に常駐することとなってしまった。
――自分の居場所が欲しいと思っていた。
少しでも皆の手伝いが出来ればと踏み込んだその区域は、使えるものは猫でも親でも死人でも使えと言うブラックさを隠さない職域。
確かに役に立ちたいと言う望みは叶ったが、休暇中は出来る限り作業を手伝うなんて安請け合いしてしまったものだから。
『これ、王子の分です! 北方からの租税関係の書類、全部確認お願いします!』
寝不足で目を血走らせた官吏から、物凄い量の書類を押し付けられた。
嘘だろう……と心の中で動揺はしたものの、引き受けると言ったのは自分だ。
――しかも書類仕事だけではなく、王宮に出入りする賓客の相手を国王から押し付けられている。
夏休みが始まる前から真っ黒だった王子の予定は、事務方の仕事も重なって大変な事になっていた。
半分は安請け合いした自業自得なのだが。
ハッキリ言って、普通に学園生活を送っている方が何倍も気が楽だ。
そんな夏休みも佳境を迎えようとしている。
明日はカサンドラと一緒にシャルローグ劇団に観劇に向かうことになっている。
舞踏会の招待状を再度送って欲しいと言う彼女の望みを叶えただけなのだが、まさかのお返しが待っていた。
観劇など久しぶりだ。
そしてカサンドラと一緒に外出できる数少ないチャンスである。
何せケンヴィッジ侯爵家のご令嬢がわざわざ婚約者と二人でどうぞと譲ってくれたチケットだ。
これを断るのはかなり心象が悪いのではないかと言えば、シリウスも簡単に納得してくれた。
自分から手配して観に行こうなどと言い出したらシリウスの疑惑のゲージを上げかねないが、こういう外部的要因が絡んでいるなら一緒に行動しても不自然ではない。
その辺りの線引きは結構難しく、あまり大袈裟に「行きたくない」と嘘を言えば
『じゃあ断れば良いだろう』
と淡々と言葉のナイフでシリウスに切りつけられかねない。
ハッキリとそう言われれば、無理に行く理由が見つからなくてカサンドラとの同行を断念せざるを得ない――という厳しい事情もあった。
観劇は久しぶりだから……などと、能動的に行く理由をさりげなく念押ししながら、予定表に書き込んでいた。
※
思わぬことが起こったのは、夕食の席だ。
丁度その日はシリウスが王城に滞在しており、国王陛下の計らいで一緒に夕食を採ることになっていた。
アーサーにとってシリウスは婚約者の事で隠し事をせざるを得ない、要注意人物。
だがそれを除けば、親友だと今でも思っている。
……彼が難しい立場に立っている事も理解しているつもりだ。
だから出来るだけ力になりたいと思っている。
お互いに考えていることや抱えていることを全部言い合うわけではない。
だが幼い頃からずっと近くで過ごしてきた幼馴染だ、性格は理解している……はず。
自分が八方美人な性格で他人に嫌われたくないように行動することを、当然シリウスは知っている。
だからカサンドラへの対応も違和感なく受け入れてくれているわけだ。ただその境界線を踏み越えてしまった結果、彼に本音を知られたくないというだけ。
本当にどこまでが彼の目を誤魔化せる範疇なのか、探り探りの毎日だった。
「ところで王子、来月は婚約者殿の誕生日ではないか?」
急に、上座で夕食を進めていた国王がそんな話を振って来た。
全くのノーガード状態だったので、フォークを動かす手を止める。
シリウスも同席している中で一体何と言う面倒な事を言うのだ、と内心で溜息をついた。
彼女の誕生日の事を忘れていたわけでは勿論ない。
特に予定表に書き込んであるわけではないけれども、日付はしっかり覚えている。
だが大々的にお祝いをすることなど出来るわけもないし。
何かプレゼントを渡すべきだとは思うが中々思いつけないまま今に到っていた。
「そうでしたね、確か九月だったと記憶しています」
全く覚えていなかったというのもわざとらしい。
どのくらいの反応なら『いつもの自分』に見えるのだろうか、と。誰かから彼女の話が出てくるたびに冷や汗を流すことになる。
隣に座るシリウスに視線を向けると、完全に我関せずの様子で淡々と夕食を進めていた。
興味のない話題に嘴を突っ込むタイプではない。
「日が迫っているというのに、何も考えていないのか?」
呆れたように国王は口を開ける。
「彼女が何を好んでいるのかも曖昧ですので、これと言って……」
母や弟に個人的に祝ってもらう誕生日はとても嬉しかったし、自分も同じように感謝やお祝いを込めて物をプレゼントしたことはある。
だがそれは勿論、家族だから。
……婚約者なら家族同然だから祝っても良いのか?
いや、それはやり過ぎなのか?
「なんという甲斐のない……。
縁あってお前の婚約者となってくれた女性に対して失礼な事をするべきではないだろう。
誠意を尽くし、きちんと祝うように」
良いな、と。
険しい顔で父は念押ししてくる。
――国王にとって、カサンドラはとても大事な『お嫁様』だ。
出来るだけ彼女への印象を良くし、自分達の味方に引き入れたいという計算が見え隠れしている。
だから自分が彼女を蔑ろにする素振りでも見せようものなら、どこからともなく現れて注意喚起してくるわけだ。
もはや鬱陶しいのだか有難いのだか、その境目さえ曖昧になるような押しつけがましさである。
「善処します」と答えはしたものの……
元々年頃の女性が何を好むのかなど、一般論以外に個別具体的な例を知らないアーサーである。
普通の女性のイメージで喜びそうなものを用意するのは可能かも知れないが……
カサンドラは今まで自分が出会ってきた女性とはどこか違う。
もしかしたら、普通は喜ばれるものもそうではない可能性だってあるのだ。
そう思うと、中々先走ってあれを用意して渡そう、という行動に移せなかった。
周囲の目もある、急に大々的に女性ものの商品のリサーチを始めたとあってはシリウスも疑念を抱くかもしれない。
いや、気にしないかもしれない――が、「おかしい」と引っ掛かる箇所は人それぞれだろう。
迂闊なことは出来ない。
「……シリウス」
さて、国王陛下から直々にカサンドラの誕生日を祝えと言われたはいいものの……
事情を聞いていた彼はどんな反応を示すだろうか。
そう思って彼に視線を遣った。
彼は無言で、こちらを見据えている。
その無表情で美しい顔には、『私に聞くな』という大きな拒絶の文字が浮かび上がっているかのようだ。
敢えて、その仏頂面に切り込んでいく。
「申し訳ないけれど、私一人で何も思いつかなかった場合は君にも相談していいだろうか」
「……。
私に言えることがあればいいがな、期待はするな」
この反応なら……多少自分が張り切って用意をしても、『相当無理をしたな』と理解をもらえるかも知れない。
「そう突っぱねないで欲しいな。
他人の欲しいものを用意するのは、想像力が試されるものだし」
ただ、アドバイスが欲しいのは本音だ。
……急遽決まったカサンドラの誕生日のお祝いについて、早急に手配する必要があるだろう。
難しい顔をしながらも心の中で色々考えを巡らせていると、眼鏡のブリッジをクイと指先で上げながらシリウスは言う。
辟易とした声で。
「そんなもの、カサンドラ本人に聞けばいいだろう」
「――それもそうだね」
奇しくも明日はカサンドラと会う予定がある。
夏休みにのも関わらず、直接彼女に希望を打診する機会が巡ってくるのだ。
それを利用しない手はない。
シリウスの言質らしきものもとれたのだ、心置きなくカサンドラに喜んでもらえるようこれから忙しくなるだろう。
難しい表情とは裏腹に、心の中は楽しみで仕方なかった。