アレクの帰省について書きたくなったのでSSに書いてみました。
また書きたいシーンが書けたらこちらに載せられたらと思います
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レンドール侯爵家に養子として迎えられた少年、アレク。
彼が王都から南方の故郷レンドールに帰省するということで、彼は当然のように従者(ヴァレット)として幼き主の伴として同行した。
――烏の濡れ羽色のように黒い髪は常に綺麗に整えられている。
別邸の家令フェルナンドの忠実な部下にして、レンドール家に仕える彼の名をディランと言った。
二十代半ばの寡黙な青年だ。
決して顔立ちは悪くないのだが、周囲を彩る華やかな光輝の中では彼の容姿は比較的凡庸なもの。
まるで影から影へと移動するように目立つことのないディラン。
アレクが跡目教育を受けていると聞いた時は、直系でもない遠縁の子供を主と呼ぶには少々抵抗があった。
だが彼の聡明さや人柄に触れ、侯爵の人を見る目の素晴らしさに敬服しているところでもある。
勿論直系の息子がいれば――と口惜しく思うが、後継ぎの息子がおらず相応しい人間がその座を埋める事は長い目で見れば悪い事ではないだろう。
あまり血縁に拘りのない侯爵のおかげで、領民は有能な長を戴く事が出来るわけである。
……そう思うに至ったのは、主にカサンドラのせいだったな、と思い出してディランは心の中で苦笑した。
本当にあの人格者の父母の娘かと思うような高慢で鼻持ちならないザ・意地悪貴族代表と言わんばかりの容姿と性格を持ってふんぞり返っていたカサンドラ。
いくら本当の娘でも、まだ外部の血が流れているアレクの方が仕え甲斐がある。
アレクの従者(ヴァレット)であることに心の底から安堵した。
尤も現在は少々その認識から変容している彼女、その違和感はただ事ではない。
王立学園入学を前に心を入れ替えたそうで、今となっては過去の言動は何だったのだ? と使用人一同当初は不思議がっている。
婚約者の王子に彼女が心酔していることは屋敷の使用人なら皆知っている事、恐らく王子の婚約者として相応しくなろうという彼女なりの決心があったに違いない。
再びの心変わりなど起こさぬよう、是非王子にはカサンドラの手綱を握っていて欲しいものである。
さて、漸く馬車がレンドールの城へと辿り着いた。
冬場という事もあり山間では雪が降っている地域も越えてこなければいけない。
侯爵の指示通り、カサンドラを連れての帰省にならなかったことは良かったと思う。
馬車での長距離移動は体力気力を削られるものだ、体調を崩されたり万が一の事故に巻き込まれたらたまったものではないのだから。
「ああ、やっと着いた。
早く侯爵や夫人に挨拶しに向かわないとね」
幼い主は、馬車を降りて片腕を灰色がかった曇天の空に突き上げる。
王都より降雨日の多いレンドールは、直前までしとしとと雨が街全体に降り注いでいた。
ぬかるみにお気を付け下さいと、ディランはアレクを先導する。
チラ、とアレクを見遣る。
月光を想起させる美しい真っ直ぐな銀髪を肩口で切り揃え、十やそこらには思えない程整った顔立ちの碧眼の少年。
華奢だが足は同年代の少年より比較的大きく、成長期になればすくすくと背が伸びるに違いない。
ロングコートという出で立ちは、すらっとしたシルエットを地面に黒く焼き付ける。一目で大衆の歓心をかうだろう非凡な容色のアレク。
そんな彼が……
何故か、とても”おかしな”マフラーを巻いているのが気になってしょうがない。
いや、過程は知っている。
あの不格好で縒れた、いかにも『手編み』というマフラーであるということくらい……!
なんでそれを首に巻いたまま歩いているのか、ディランにはさっぱり分からなかった。
一応プレゼントとしてカサンドラからもらった以上、身に着けている姿を一度は見せる必要がある。
だから王都別邸出立の際に不細工なマフラーを身に着けていたのは、彼の気づかいであり優しさなのだと思っていた。
もう外しても良いのでは?
ディランは少年に進言したかったが、彼が身に着けているマフラーが汚れているわけでも破損しているわけでもないのに『趣味が悪いですよ』と言うのは従者としてナシだ。
カサンドラのプレゼントではなかったら進言も可能かも知れないが……
不格好でも、主家の総領娘の手編みのマフラーだぞ?
それを「不格好ですから外してください」なんて言えるか?
無理だ、無理。
いくらアレク付きの従者でも口が裂けても言えない。
だがこんな姿でクラウス侯爵や夫人に会わせてしまったら、従者(ヴァレット)としての資質を疑われかねない。
どうする!?
屋敷の玄関をくぐり、クラウス達が待っている部屋に辿り着くまでディランは生きた心地がしなかった。
「ただいま戻りました」
双開きの厚い扉を開き、レンドール侯爵家当主クラウス、そして夫人フローラが待つ部屋にアレクが入る。
そこには執事長やメイド頭、多くの屋敷仕えのメンバーが勢ぞろいだ。
現在別邸勤めのディランにとって眩しくも輝かしい空間である。
「長旅ご苦労様でした、アレク。
――貴方がたの無事を女神に感謝します」
おっとりとした声音で、夫人はこちらに声を掛けてくれる。
穏やかでにこにこ、対外的にも人当たりの柔らかさで有名なご婦人だ。普段無表情な上、地顔が怒っているようにしか見えない侯爵の配偶者としては丁度バランスがとれている。
だがフローラはアレクに目を留め、困惑気味の視線を向ける事になった。
胃が痛い。
フローラだけではなく、その場いる十数名の人数の目が一斉にアレクの首元に向けられているのだと気づいてしまったからだ。
「まぁ、アレク。貴方、そのマフラー……」
流石に夫人も言葉を飲み込む。
アレクは全く動じることなく、何故自分がそんな目を向けられているのか全く分からないと言った様子だ。
「ああ、こちらですか。
このマフラーは姉上が編んで下さったものです」
それからたっぷり十数秒間、誰も言葉を発しなかった。
普段些細なことに意識を向けることもない当主クラウスまで、机に肘を乗せたままの姿勢で微動だにせず視線だけアレクに突き刺している。
「……キャシーは編み物はしたことがなかったと思いますが」
何かの間違いでは? と夫人は首を傾げる。
「これは姉上が初めて編んだものなんですよ」
アレクが淡々と説明するが、どことなく得意げに聴こえるのはディランの気のせいだろうか。
幼い主より数歩下がって直立不動状態のディランは部屋の全容が嫌でも視界に入ってくる。
この屋敷に長く仕える出来た使用人達なので、決して露骨に驚きの声はあげない。
だが彼らは洗練されたアイコンタクトという技術を用い、執事長やメイド長などはそれぞれ目くばせをしながら己の困惑ぶりを伝え合う。
何という奇妙な空間だろう。
彼らの声なき心の声が形になるなら、この部屋は阿鼻叫喚の地獄絵図と化したに相違ない。
「そうなのですか、驚きました。
だから少しほつれがあったり、上手く編めていない箇所があるのですね。
あの子が編み物……変わった変わったと思いましたが、趣味も変わってしまったのかしら」
「新しい趣味と言いますか、姉上は王子の誕生日に手製のマフラーを贈りたいと言っていまして。
……まぁ、これはその練習の副産物というわけです」
『――っ!?』
それまで沈黙を保ち、怪訝に思いつつも素知らぬ素振りをしようとしていた侯爵クラウス。
彼はその元から厳めしい顔を一層険しく眉間に皺をよせ、トントン、と指先で机を叩きだす。
「アレク。それは本当か?
……まさか王族にそのようなモノを贈るだなど、お前は止めなかったのか」
「勿論お止めしました。
ですが姉上の決意も固いことですし――
もしも完成品がこのマフラーと変わらぬ出来でしたら諦め、代替の贈り物を渡されると言質は頂いてます。
何より一生懸命ナターシャの指導を受けて作成中、僕からはそれ以上何も言えません」
ざわ、と空気だけが大きく揺れた。
あのカサンドラが婚約者のために手編みのマフラーを一から習って作成しているという事実は彼らにはあまりにも大きな衝撃だった。
そんな乙女思考が搭載された少女ではなかったと、この場にいる誰もが知っている。
むしろこの屋敷に住んでいたころの彼女なら、ナターシャに代わりに作らせて自分が作ったものだと偽って渡しかねない。
実際には手編みという選択肢を思いつくところから既に、彼らには信じがたいことだったのだ。
ディランも彼らの胸中に渦巻くむずむずとした感情はよくわかる。
平然と直立しているものの、心の中では多く何度も頷いていた。
「そうか……」
クラウスは気難しい顔のまま、大きな吐息を吐いた。
そしておもむろに机の引き出しからパイプを取り出し、傍の燭台の灯を使って火を点ける。
誰も何も発言せず、静かに時だけが流れていく。
ふぅ、とクラウスがパイプを燻らせ、煙で白い輪を作って宙に浮かべる。
「ところでアレク。
王子には何色のマフラーを贈ると言っているのだ、キャシーは」
「残念ながら僕にはわかりかねます。
何故そのような事をお聞きに?」
「王子に渡すつもりのものなら、まぁ悪趣味な色にはならんだろうが、念のため確認しただけだ。
……はぁ。
どうせ王子に贈れるような出来の良いものを、あの娘が作れるわけがないだろう。
折角作ったものを無暗に処分するのも憚られるとアレが言うなら、こちらに送るように言い含めて置いてくれ」
んんん?
まるで出来損ないを自分の許へ送って欲しいと言わんばかりの言いように聞こえるけれど?
ディランは聞き間違いかとクラウスのいる方を凝視した。
当主様は、やれやれと呆れる素振りを見せているが、もしかして……
アレクも夫人も使用人も藪をつついて蛇を出すようなことはしないが、声にならない想いは一つに重なった。
((当主様、アレクが羨ましいんだな……))
「まぁ、あなたがそんなに手編みの品に関心があるとは知りませんでした。
私も練習してみようかしら」
ふふふ、と満面の微笑みで両手を合わせて浮き立つように話す夫人に、クラウスは椅子を回して背を向けた。
「何の話だ。私はそのようなことは一言も言っておらん」
アレクの帰省によって生じた大いなる動揺の渦は、彼が帰省中に会う友人に会う友人、それらに留まることなく波及していったのである。