(245話舞台裏のようなSS)
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王城内部の騎士団関係施設はかなり広大な範囲に及ぶ。
奥には寄宿舎が建っているのでそれだけでも随分な面積なのに、訓練施設や書類仕事をこなす建物まで含めると更にとんでもない広さだ。
更に広範囲に上るのは人員も同じ。騎士だけではなく、他の職の人間も多く関わることになるので、一口に”騎士団”と言ってもそれだけで一つの町を形成できる程大きな組織だ。
それは、九月のある晴れた一日。
豊穣祈念祀を翌日に控えた秋の日の事だった。
「なぁ、アンディ」
彼は自室で報告書の作成途中、休憩しようと談話室に向かった時に同僚に捕まってしまった。
「何かな?」
今日は豊穣祈念祀の事前打ち合わせということで、騎士一同雁首を揃えて聖堂内で作業を行っていた。
明日に向けて手直しや打ち合わせが必要な個所を今日中に上官に挙げなければいけない。
ジェイクと一緒に考えろと言われても、そのジェイク自身が一時間ほど前から用事で不在だ。ラルフからの頼まれごとだと言われれば、文句も言えずに見送るしかない。彼が早く騎士団に戻ってくることを願うだけだ。
ああでもない、こうでもないと頭の中に浮かび上がる懸念事項を渋面を作って纏めている最中。
そんな時に気軽に話しかけられることは決して嬉しいことではないのだが、条件反射で笑顔になる。一々不機嫌そうな顔をしても良いことはあまりないのだ。
常に不機嫌そうなオーラを撒き散らせば話しかけられ辛くはなるだろう。が、それはアンディの立場にとっては情報源を自ら遮断するようなもので得策ではない。
「いや、今日俺初めて王子の婚約者を見たんだけど!
なんか色々噂と違う感じだなってさっき皆と話しててさ。
お前、あのお嬢さんとは面識があるんだろ?」
ズイッと顔をこちらに寄せて来ながら、同僚の一人は好奇心に満ちた顔でアンディを見つめている。
周囲に目線を遣れば、多忙なアンディを気遣うどころかむしろ話を聞きたくてしょうがないと目を輝かせる者ばかりだ。
……まぁ、それも致し方ない話である。
王子が婚約者の誕生日だから歓待するという話は騎士団でも把握されていたことだが、彼女が騎士団に顔を出すことはない。
婚約者殿に興味はあれど、まさか覗きに行くわけにもいかずに諦めていたわけだ。
それが聖堂に王子がやってきたことで、その場に参加していた騎士の多くは彼女の姿を目の当たりにすることになったのだ。
――騎士団内部での王子の婚約者という存在への評価は、真っ二つに割れている。
悪し様に言う程酷いお嬢様ではないとも聞くし、王様が決めたのだからしょうがない派。
噂に流れるレンドール家の令嬢の評判はいいものとは程遠く、まぁ、口さがなく言わせてもらうのならば勘違いした田舎貴族の生意気なお嬢さんだから勘弁願いたい派。
王城に勤めている人間の多くは中央出身で御三家に関わる者が多く、勿論騎士団はロンバルド派が多くを占める縄張りのようなものである。
王子が御三家ではなくて地方の貴族と結婚するという話を聞いて、公には言えずとも嫌だと考えた人間がとても多かった。家同士の実利の問題ではなく、純粋に嫌そうだった。
地方でも名を馳せた人格者の令嬢の話は数多くあるというのに、何故よりにもよってレンドールの娘なのかと。
いくら釣り合う家格の令嬢の選択肢が少ないとはいえあんまりだろう。
騎士達は王子と仲が良い。
ジェイクと王子が幼馴染で仲良しだからということ以上に、彼の事は身近な弟のような存在ととらえる若い騎士も多かった。
彼が評判の限りなく宜しくない、我儘で高飛車な勘違いお嬢さんに振り回されるのは看過しがたいと陰ながら文句を言う層が多いのも自然の成り行きだ。
現にアンディだって、実際に彼女に会うまでは、ジェイクやミランダの言う彼女の人物像に若干懐疑的だったことは否めない。
会ってみれば、普通に良識のあるしっかりとしたお嬢さんだと分かるが……
まぁ、どうしても性格がキツく見える外見で多くを損している人だ。
一緒の学園に通っているジェイクも、当初程カサンドラを毛嫌いしているというわけでもない。
どうにかして破談にしたいと先走ろうと画策する騎士団の人間を『余計な事はするな』と抑えているのが現状だ。
騎士団の人間は基本、己の持つ実力を恃みにしているので良くも悪くも行動力が高い者が多い。我が我が、という主張が強いのだ。王子にあの婚約者は嫌だと思えば、つい直訴に出ようとする者など、いくらでも思いつく。
今日、王子と一緒にやってきたカサンドラの事を聖堂にいた騎士達が気にしないわけがない。
気になってしょうがないけれど、でもじろじろ見るのも王子に失礼だし――あの場には王子だけではなくジェイクもシリウスもいたので挨拶に向かおうという蛮勇を示す者もいなかった。
「どんな方かと言われても、私にもわかりかねるよ。
当然、個人的なやりとりがあるお方ではないし」
「そうかぁ、でも見た感じはフツー? っぽかったなーって話しててさ。
あの噂とか、ホントなのかなって。
お前、どう思う?」
「……何を普通を捉えるかは個人の価値観だからね。
君がそう思うならそうなんだろう」
噂という言葉だけと違い、姿を見たことによって彼らの話は一層実像を求めてああでもないこうでもない、と想像上の王子の婚約者について話を続けるのだ。
王子が何も言わないのだからこちらが進言することでもないし、そもそも王妃候補に自分達の好悪の情など一切関係ない事だ。
それを分からない者でもないだろうに。
あまりにも実像が掴めない『婚約者』という存在を今日間近にしたことで、皆が思い思いに話のタネにしている姿は苦笑せざるを得ない。
「おーい、ジェイク!」
丁度談話室に入って来たジェイクがこちらに話かけるよりも早く。
こちらの言動を伺っていた同僚が素早く刈れに向かって腕を上げた。
「何だよ」
彼は怪訝そうな表情で、談話室内の年若い騎士の多くが自分に視線を向けていることに疑念を持つ。
少し席を外すと言って出かけた彼だが、機嫌が良さそうだった彼の顔が彼らの好奇心満載の視線を浴びて一気に曇った。
「王子の婚約者殿って、一体どんな人なんだ?」
「……はー。
まーたその話か、知らん」
彼はうんざりし、自分に近づいてこようとする同僚をシッシッと手の甲で払いのけようとする。
カサンドラの話題になる度に、彼は物凄く鬱陶しそうな顔だ。
最初はその理由は判然としなかったが、今ならわかる。
本当に、表立って何か反対する理由も諸手を挙げて賛成する理由もないお嬢さんなのだ。
しかも王様や将軍たちがそれを承認しているというのに、一々ジェイクが何かを言えば大変面倒なことになる。
その話題に関しては無関係を貫きたい、中庸で居たい。
目立った非難するべきところがあるならまだしも、そうでない段階だ。
ジェイクからの言質をとったとばかりに、カサンドラへの個人評を格好の攻撃、もしくは擁護材料にされては敵わない。カサンドラの話題になるといつもより何十倍も口が重くなる。
「知らないわけないだろ。同級生だし、生徒会で一緒なんだしさ。
俺ら、どんな方なのか一切知らないんだぞ?
何かあのお嬢さんの事で知ってること、良かったら教えてくれよ」
あまりにも頑なに『知らない』と言い続けても、この場は収まる気配がない。
本人を目の当たりにしたというインパクトが絶大過ぎ、いつものようにそのままスルーは出来そうにない。
何か答えがないと彼らは納得して引き下がってくれそうになかった。
学園で会う機会、話をする機会もジェイクなら多いはず。
二学期にもなって全く知らぬ存ぜぬの関係ではあるまい、と彼らはじーっとジェイクの返答を待っていた。
「そうだな……。一つ言えることがあるなら」
彼はそう言って、顎に手を添えて僅かに考え込んだ。
やたらと真面目な表情で、一言。
「あいつの淹れるコーヒーは美味い、それは事実だな」
え? なんでコーヒー? 質問した者も、回答に興味を持っていた層も。その頭上にクエスチョンマークを浮かべ、しばらく何か深い意味があるのかと考え込んでしまった。
「アンディ、さっきの話の続きがあるからこっち来い」
彼は片手に持った数枚の紙でペシペシとアンディの肩を叩き、ついでとばかりに彼の執務室まで連行された。
完全に煙に巻かれた彼らをおいて、アンディは休憩もそこそこにジェイクについていったのだが――
「さっきの、何か意味があるのかな、ジェイク君」
「……って言うか俺、あいつの事マジで知らないからな、あいつら無茶ぶりし過ぎじゃね?
興味ないのに、どんな奴だって言われても……何て答えればいいんだよ」
彼は本気で困ったように眉根を寄せる。
口を逆三角形にし、そこには不満が重責していた。
※
その話は一旦無かったことにされかけた。
だがしかし、学園で開催される武術大会の手伝いに駆り出される騎士のメンバーが発した『学園で出された飲み物が美味い』という何気ない一言で二か月前のジェイクの言葉が騎士団の中で再浮上。
彼らは普段その道のプロの給仕たちに紅茶やコーヒーを用意させる、元は貴族の子女ばかり。
当然味には煩く、簡単に記憶に残すこともない。
そんな彼らの印象に残る手際とは一体……
ざわざわと、だが確実に。
実(まこと)しやかに囁かれていくその話が自然とお偉いさんの耳に入り、コーヒー狂の将軍の興味を惹くまでに至ってしまったのだが――
当事者のカサンドラは愚か、適当な事を言って文字通り茶を濁そうとしたジェイクにも全く思いもよらないことだったのである。