大和成生様の短編『【KAC2024 】情けは人の為ならず』(https://kakuyomu.jp/works/16818093072855210400)のあるエピソードを拝見していたら、妙に既視感のあるお話になってまして。藤沢秀行という囲碁棋士の、有名な伝説とよく似ていたんですね。
私は別に囲碁が打てるわけではありませんし、将棋が指せるわけでもないのですが、将棋で最年長名人となった米長邦雄の本は概ね読んでいます。兄三人が現役で東大に行き、四男だった彼だけは小学6年生のときにプロ棋士を目指すよう勧められ、将棋界に。そして「兄たちは頭が悪いから東大に行った。私は頭が良いから将棋の棋士になった」と口にしたことで語られる人物です。(なお、このエピソードは作られたもので、彼自身はそんな風に「本当に思っていること」を自分は口にしないと本の中で述べています)
米長も大概型破りな人物でして、明らかに常人ではない感性の持ち主なのですが、それでも彼が天才だなと思うのは、彼が人生において常に「運」を大事にしていたこと、そして、そういう確率的で人智の及ばないはずのものに対して、「運は自分の振る舞い方・考え方次第で呼び寄せることができる」と考えていたことです。
で、この米長が生涯最も敬愛していた人物が、碁打ちの藤沢秀行。米長は孔子の論語から『七十にして矩を踰えず』という言葉を引用し、この藤沢秀行という人物を『矩を踰えて』生きていると評しています。そりゃもう、米長が常識人に見えるほどに欲望剥き出し。社会性皆無に生き抜いた人でありながら、なおかつ修行僧のようでもあったという希有な人物。読売新聞社の棋聖戦(優勝賞金5000万円だったかな?)を重度のアル中になりながら6連覇したという、碁打ちであれば誰もが知っているエピソードの持ち主ですね。
そうした藤沢伝説の数々については、米長の著書(特に『人生一手の違い』だったと思う)でこれでもかというほど語られてますので、ここでは割愛致しますが、興味のある方は読まれてみるとよろしいかと思います。
さて、ここからが本題になるのですが、自分はそういう人物の生き様を、知識として知っています。時には小説の登場人物を作るに当たって、参考にすることもあるでしょう。ですが、そうして作られた人物は、やはり藤沢秀行にはなれないんですよ。形や行動を真似させてみたところで、人としての魅力が圧倒的に足りない。一歩間違えば、ただの愚行を繰り返す馬鹿の出来上がりです。
大和成生様の短編を拝見していて羨ましいと思ったのは、藤沢秀行という人間のことを何も知らない人が、そのエピソードを彷彿とさせる短編を作り上げ、なおかつそれが独自の着想(ことわざの解釈多様性)に落とし込まれているということ。
知識で小説は書けません。やっぱり才能なんやなと思わされたお話でした。