僕の住んでいる町には、魔女が住んでいる。
どこにでもある、イギリスの田舎町。
その西方にある、レンガ造りで、たくさんのハーブや花々が栽培された、草木溢れる綺麗な家。
そこに、魔女と言われる存在が住んでいるんだ。
西の魔女。
町の人々の間では、そう呼ばれてる。
だけど、別に何か魔法が使えると言う訳じゃない。
彼女は薬草や生活の知識に長けていて、町の人達を助けてくれる存在だった。
普通の人があまり持ち合わせていない智恵に長けていることから、いつしか魔女、なんて呼ばれるようになったのだ。
西の魔女は、町の人から愛されていた。
「おいハク、今日の放課後、空いてるだろ」
放課後のチャイムが鳴ると同時に声を掛けてきたのは、クラスメイトのテッドだった。
彼はクラスの中心的な存在で、トラブルメーカーだった。
彼の誘いはいつもろくでもないことを、僕は知っている。
「遊ぶって、何するのさ」
「東の森に行こうぜ」
「東の森?」
この町の東には小さな森があって、そこには公園がある。
でも、遊具が痛んでいて、あまりそこで遊ぶ子供はいない。
と言うよりも、そこに足を運ぶ人はあまりいない。
不良が居るだとか、変質者が現れるとか、あまり良い噂は聞かない。
「東の魔女の家を探検するんだよ」
テッドが言うには、東の森には魔女の家があるのだと言う。
僕も聞いたことがある。この町では有名な話だった。
「嫌だよ。そんな場所に行くの」
そもそも、東の魔女なんて西の魔女と対比させるために生まれた都市伝説でしかない。
退屈な田舎町では、そんな話題でもないと盛り上がれないんだ。
「さてはお前、怖いんだろ」
「危ないじゃん」
「やっぱりビビッてる。チキンじゃん、お前」
テッドが大きな声でそう言うと、クラスの皆の視線が集って来た。
なんだ、またテッドがハクに突っかかっているぞ、そんな声が聞こえる。
「ビビッてなんてない!」
僕が言うと「じゃあ勝負な」とテッドは歪んだ笑みを浮かべた。
テッドがこうした勝負を挑んで来るのは初めてじゃない。彼は僕をライバル視してるんだ。
「東の魔女が居るって証拠を見つけた方が勝ちだ」
「そんなの、ただの都市伝説だろ」
「だからぁ、それが都市伝説かどうか解き明かすために行くんだよ! 学年で一番勇気があるのはどっちか、白黒つけようぜ。そうだ、二人だけだと分からないから、審判を呼ぼう。……なぁベティ!」
「何? テッド」
呼ばれて近付いてきたのは、学年一の美少女と言われているベティだった。
彼女はブロンドの髪をしていて、すっと通った顔立ちで、お洒落な女の子だった。
家がお金持ちなんだと、いつか姉から聞いたことがある。
「俺とハクで東の魔女の家を探索するんだけどさ、お前も来いよ」
「東の魔女の家? 西の魔女みたいな? すごい! おもしろそう!」
ベティは都会から引っ越してきた子だから、こう言う話に触れることはあまりないのだろう。僕からしたら、もう慣れっこなのだけど。
僕は内心嘆息した。テッドはベティに惚れているのだ。
でも、ベティはどうやら僕のことが好きらしい。
だから、テッドは僕をライバル視するんだ。
ベティの気を引いて、僕に勝って、良い所を見せようとしてる。
正直、あまり気乗りがしなかった。危ないことには近付きたくなかった。
でも、テッドは僕より勇気があると証明するために一人でも行こうとするだろう。
テッドを一人で行かせるのは危ない。僕に絡んでくるけれど、彼は嫌いじゃない。彼が危ない目にあってしまうのは、やっぱり悲しい。
「わかったよ。行くよ」
僕は諦めて頷いた。
家に鞄を置きに戻ると、お姉ちゃんが仕事から帰って来ていた。
僕が幼稚園児の頃に両親が事故で亡くなって以来ずっと、僕にとってはお姉ちゃんがお母さんみたいな存在だった。
「あぁ、ハク、お帰り」
キッチンで料理をしていたお姉ちゃんは、僕を見て微笑んだ。
「お姉ちゃん、今日は早いんだね」
「うん。魔女さんのところに行く用事があったから、早く帰らせてもらったんだ」
お姉ちゃんは西の魔女と仲が良い。ハーブティーや石鹸を度々もらって帰ってくる。
どれも質が良いもので、西の魔女が大切に育てているのがわかった。
「見てよ。レモンバームにミント、ベルガモットまでもらっちゃった。石鹸はオレンジを使ったんだって。今日早速お風呂で使おう」
「うん」
「今日は何か用事あるの?」
「……これからテッドやベティ達と遊ぶ約束してるんだ」
「そっか。……どうしたの? 浮かない顔だけど」
「何でもない」
東の森の行くとはとても言えそうになかった。
すると「そうだ」と、何か思い出したようにお姉ちゃんは机の上に置いてある紙袋を漁り出した。
出てきたのは小さな麻の袋だった。お姉ちゃんは、その袋をこちらに投げて寄越す。
両手で受け取ると「ナイスキャッチ」と嬉しそうに声を出した。
「何? これ」
「魔女さんからポプリの実が入ったお守りだって。肩叩きのお礼に」
そう言えば以前お使いで魔女の家に寄った時、お願いされて肩を叩いてあげたんだった。
「聖なる神様のご加護をって」
「聖なる神様?」
「この町に住んでいる土地神様だってさ。勇気をくれる優しい神様。魔女の間にだけ伝わる神聖な存在なんだって」
「へぇ、初めて聞いた」
「魔女さんも初めて人に言ったって言ってたよ」
何だか心強い存在だ。僕は受け取ったお守りをなくさないよう、家の鍵と一緒にキーチェーンへと取り付けた。
そこで、ふと思い出す。
帰り際に、確かテッドがこう言っていた。
「ハク、何か記録できるもの、持って来いよ」
「記録? 何で?」
「魔女を見つけたって証拠が必要だろ」
自分の部屋に戻って鞄を置いてから、首をひねる。約束の時間はもうすぐだ。
「何かあったかな……」
僕は携帯電話と言う物を持っていない。
姉は緊急用に持てと言うが、小学生の僕にだって、我が家の経済事情にそんな余裕がないことは分かっている。
そうだ、父さんの部屋なら何かあるかもしれない。
僕は早速、父さんの部屋へ向かった。
小説が多い書斎は、今もお姉ちゃんがマメに手入れしている。
その一番奥にある机の引き出しを開けると、金属製の細い棒が入っていた。
また、良く分からない言葉の羅列が、引き出しに直接鉛筆で書かれている。
「落書きかな……?」
不思議に思ったが、まずは細い棒の方を取り出す。
ボールペンや万年筆だろうか。随分と傷ついていて、痛んでいるようだった。
棒を取り出すと、先ほど引き出しに書かれていた言葉の羅列が、髪の毛を火であぶったかのようにチリチリと燃え出し、消えていくのが分かった。
驚きのあまり、思わず息を呑む。
あっと言う間に文字は全て燃え尽き、引き出しから綺麗に文字は消えうせた。
あまりに現実離れした光景だった。
文字が消えたのは、この金属棒のせいだろうか。手に持ったそれを、恐る恐る観察する。
良く見ると、棒には液晶画面がついており、先の方が取り外せるようになっていて、取り外すとUSBの差込口が顔を出す。
多分、ICレコーダーだ。
こんなものがあるなんて、僕は何て幸運なんだろう!
先ほどの恐ろしい光景も忘れ、思わずそう叫びそうになった。
内臓の電池にはまだ充電が残っているらしく、キャップだと思っていた部分を捻ると、電源が立ち上がる。
液晶に録音された時間が映し出された。かなり長い時間録音されている。
これは生前、父さんが使っていたものだろう。
だとしたら、この中には父さんの声が吹き込まれているに違いない。
「お姉ちゃん! 遊びに行ってくる!」
僕が叫ぶと、キッチンから「遅くならないようにね」と言葉が返ってきた。「わかった」と返し、そのまま玄関を出る。
外を歩きながら、レコーダーの再生スイッチを押した。
ガチャガチャとノイズ音が鳴った後、音声が聞こえる。
※※※
「ここは何もなさそうだな」
「ねぇ、あっちの客間は? あっちは何かあるんじゃない?」
「見に行こう」
(二人分の足音が遠ざかる)
(長い無音)
「おい、ハク、早く来いよ」
(ギシッと言う音の後、一人分の足音。遅れて、もう一つ足音が鳴る)
「客間を探索するとか言ってなかった?」
「見てみろよ。東の魔女がいるとしたら、この先だろ」
(無音)
「行くぞ」
「怖い――(風の音)」
(何かを切り取ったかのように、音がない)
「う、うん」
(三人分の足音)
「おぉ……。これって魔女が描いたんだよな」
(カメラのシャッター音)
(早送り)
「もう夕方だ」
(無音)
「そうだな、帰ろう。この写真を見たら、クラスの奴らきっと驚くぞ」
(二人分の足音が遠ざかる。風の音がしている)
(遠くからノイズ音)
(三人分の足音がしばらく続く)
「知ってるか? 東の魔女は子供を食べるのが大好きで、迷い込んだ子供を連れ去るんだ。わざと子供を逃がして、追いかけて、悲鳴を上げさせるのが好きらしい」
(無音)
「随分詳しいね、二人とも」
(僕とテッドの笑い声)
(早送り)
(三人が歩く音)
「知ってる? 二人共。この町には土地神様が居るんだって」
「土地神?」
「聖なる神様らしいよ」
(無音)
「皆知ってるのか。俺は全然知らなかった」
「僕はお姉ちゃんから聞いたんだ。西の魔女がそう言ってたって」
「魔女が言うと信憑性があるな」
「うん。守り神がついてるんだから、きっと大丈夫だよ」
(しばらく三人分の歩く音が続く)
(無音)
「ベティ、もうちょっとだから頑張ろう」
(無音)
「大丈夫だ、ベティ。俺達が守ってやるよ」
(無音)
「それでも歩かなきゃ。なぁハク?」
「僕は、お姉ちゃんが心配するから、早く帰りたい。遅くなるなって言われたし」
「何だそりゃ」
(無音)
「仕方ねぇじゃん。この森がこんなに不気味だなんて――(風の音でよく聞こえない)」
「テッド、どうしたの?」
(無音)
(僕が物凄く大きな声で笑っている)
(この後何かあったのか、激しい衝撃音と共に音声は途絶えた)
(少しの間の後、ノイズ音)
やぁ、ハク。こんにちは。
この音声を聴いているということは、ちゃんとこのレコーダーを父さんの机で見つけたんだね。
あまり録音できる時間が残っていないから、今は手短に話すよ。
いいね、ハク。
今から話すことは、かなり抽象的な話になるかもしれない。
というのも、僕からは君にヒントしか渡せないからだ。
下手に全てを話すと、歴史を変える可能性がある。
歴史が変わってしまうと、何が起こるのか僕には分からない。
そうなると、君をサポートできなくなってしまう。
だから、僕が知っている範囲で、一番確実に君を助けられる道を歩んでほしい。
できることが少なくてすまない。でも、君なら分かってくれると思う。
良いかい、ハク。これは、僕から君に渡すミッションだ。
そのミッションに何の意味があるのかは、追々分かってくるだろう。
まず、第一のミッション。
それは、このICレコーダーをベティのレコーダーと交換してもらうことだ。
これは、そんなに難しいことじゃない。
ベティは優しいから、君の申し出を快く受けてくれるだろう。
次に、第二のミッション。
君は、ある『本』を見つけることになると思う。多分、それがどれかすぐに分かる。
その『本』の二十五ページ。そこを切り取って持って帰ってくるんだ。
これも、難しいことじゃない。
何故なら、『本』を破っても誰かに咎められることはないからだ。安心していい。
できるだけ綺麗に切り取るんだよ? いいね?
そして、最後のミッション。
これが、一番、難しい。
ハク、君は今日、『ある事実』に気付くと思う。でも、その事実に気付いたことを、決して誰かに悟られてはいけない。
もちろん、声に出したり、誰かに言うのもなしだ。表情に出すのも良くない。
ハク、君には今日一日で、この三つのミッションをこなして欲しい。
そうすれば、僕のところまでたどり着くことができるだろう。
繰り返すけれど、具体的なことは言えない。許してくれ。でも、君なら必ずできる。大丈夫だ。君は勇敢だし、魔女のお守りがついてる。百人力さ。
そうだ、一つだけ、君にヒントを渡しておこう。
聖なる神様の話さ。
それじゃあね、ハク。健闘を祈る。
※※※
音声はそこで止まっていた。
なんだったんだろう、今のは。
前半は、僕とベティとテッドの声がした。
そして、途中でノイズが入って切り替わったかと思うと、次に男の声がしたんだ。
幼稚園の頃に聞いた、懐かしい声。
あれは多分、父さんの声。
父さんは死んだはずだ。ずっと前にお葬式だってした。良く覚えている。
でも、父さんは音声の中で「僕のところにたどり着ける」と言っていた。
となると、僕はこのミッションをすることで、死んでしまうことになる。
父さんの真意が分からずもう一度聞こうかと思ったが、電池が切れてしまったのか、もうICレコーダーは動かなかった。