「小説家になろう」に主に作品を提出する者です。ですがいわゆる「小説家」になろうという気はありません。それでもどうして作品を書き続け、提出し続けているのかと言われたら、自分自身はっきりとしません。初めのうちはそれこそプロを目指していた節があるのですが、それもなくなり、じゃあ何が求心力として残ったのかというと、果たしてきちんと名づけることができるのか不安になるくらい、未だ明らかになっていない「何か」が心に残留しています。今はそれに突き動かされて、書き続け提出し続けているといった次第です。
2014年の1月17日から本格的に小説を書き始め、同年の2月10日に初めて小説を最後まで書き切ることができました(それ以前にも友人とわいわい二次創作をやっていたのですが、完結させたことはありませんでした)。4月に「小説家になろう」に出会い、短編をいくつか書き始めます。2013年の5月に村上春樹の小説に出会って以来、それの模写を、その年の6月から12月ごろまで続けていたので、2014年の間に書かれたものはそれの影響が色濃く見出されます。彼から離れ、いろいろと模索し始めたのは次の年になってからです。
2015年になって自分に大きな影響を及ぼしたのは、夏目漱石とプラトンです。兼ねてからその存在は認知していましたが、がっつり読むようなことはありませんでした。しかし、ある程度読めるようになり、彼らの著書を系統的に漁るごとに、それにどんどん惹きつけられていきました(春樹は、前年に彼の出した『女のいない男たち』以来、あまり読まないようになりました)。プラトン経由で、古代ギリシアに強く興味をもち、ホメロスなどに触れることができたのも大きいです。ですがこの年はいろいろとあって、自分の小説はあまり進めることができませんでした。記録を見ると、4月から9月まで一切何も書かれていないことがわかっています(「なろう」への提出は続けていましたが)。動き出すことのできたのは10月からです。その時に『行方』という中編小説を書いたのですが、これは出来はあまり良くなかったのですが、これを機に、なぜか小説に対する意欲を取り戻せた。またこれを皮切りに、研究者や哲学者の著書をゆっくり、詳しく分析するようになった。それが最近まで続いており、自分の全体的な姿勢を整える役割を果たしています。
2016年に入るとますます個別的なものに惹きつけられていきます。まず欠かせないのがハイデッガーとの出会いですね。『形而上学入門』を最初に読んだのですが、これが自分に及ぼしたものは大きい。里見弴、小林多喜二の小説、小林秀雄の声、なども好みはしたのですが、思想的に、これが一番大きいです。今は『存在と時間』をもっぱら分析中です。こちらは長くなりそうです。1年、下手したらかかるかもしれない。ですが彼はそういうアプローチで臨まなくてはならないと勝手に思っています。今回ここに提出した「二匹の神聖な白い獣」も、題名だけはまだ春樹的匂いが残っていますが、文章はハイデッガーのそれに深く浸っています。
以上がこれまでの自分です。これからのさしあたりの目標としては、まずハイデッガーの分析になるでしょう。これはおそらく3年はかかる。他の研究書、またフッサール、古代ギリシア時代の哲学への再帰なども含めれば10年はかかる。そのくらいのスパンを見据えてやっていこうと思っています。それから、広く「物語」にも関心を持っています。そのため神話、民話、童話、伝説などを掘り下げていきたいと考えています。自分の内側に対する目標はそのようなところです。外面的なものを話すと、何年か書いてきて、またいろいろなものに触れることができて、ようやくさまざまな方たちと「話す」ことができるようになったと思っています。そのため、「外」に出てみて、多くの方たちと出会い、会話をしていきながら、ハイデッガー的な意味での「手もとにある」世界を広げていきたいと思っています。
今書けるのはこのようなところです。「なろう」では「文学」ジャンルがあったため探しやすかったのですが、ここではそういう総合的なジャンルがないため、まったく読めていないという状況です。ずっとこのままかもしれない。しかし「なろう」でも「文学」ジャンルがなくなるということで、そもそもネット小説自体読まなくなるかもしれない。そのようなことにならないことを願っておりますが、多分そうなります、最終的には。その間、少しでもいろいろな方の「いろいろな」小説を読みたいですね。