タイトル通りではありますが、「小早川さんは明日魔女になる」、完結いたしました!
この作品自体はもう一年も前に書いたもので、カクヨムコンに向けて諸々の情報の追加と間話の追加を行ったのが、今のこの形になった作品です。
本作の内容は一貫して、主人公がヒロインを殺す物語でした。
そもそものきっかけやこの作品にもっとも影響を与えたのは、おそらく皆さんお分かりかと思いますが、月姫という某有名ノベルゲームでした。
FGOの初期から型月沼に入り、色々と調べていくうちにどんどん型月の世界観に浸かっていき…。
そんな中で、月姫や空の境界が殺人鬼の話を書こうとして作られたものだと知ります。
奇しくもそれは、自分がかねてから書きたいと考え続けていたものと一致する物でした。
というわけで、この作品のテーマとして、「ヒロインを主人公が殺す話」は最初に設定されています。それはつまり、最初からこの結末に向けてレールを敷いてきた、ということになります。
そのレールの一つが、生死の倫理と哲学でした。
どうして人は人を殺すのでしょう?
その多くは、自分を含む集団全体のためであったり、或いは、自分自身のためになるかと思います。
自分を含む集団全体のため、というのは主人公が魔女を殺す流れで多く描かれていると思います。
しかし、それらの死は、欲望の果ての殺人という行為です。
自分が書きたかったのは、そうではなく、死と生の美しさでした。
アンナチュラルというドラマをご存知でしょうか。米津玄師のレモンで有名なドラマです。
その中のある話の最後のシーン。
スロー演出も加えられ、雪の中、ゆっくりとナイフが振り下ろされ、女性は殺されていきます。
偶々見たドラマのそんな光景に、自分は心を奪われました。
殺すのであれば、好きな人でなければなりません。愛さなければなりません。
けれど同時に、愛したままの殺人を、自分は求めていました。
そのためのレールを敷き、主人公が殺さなければいけない理由と、それをし得る力(ここの力は、物理的なものだけではありません)を与え、結果として、主人公である近江は、当初の予定通りの結末にたどり着いてくれました。
一年前、この作品を書き上げた時に、震えたのを今でも覚えています。今でも、自分の書いた作品の中で最も大事だと言えるくらいには、殺すシーンは、その主人公の慟哭は、自分の胸を打っています。自分の作品でありながら、何度読み返したかわかりません。
けれど。
そこに至るまでの部分には、稚拙な部分も多く存在します。単純な筆力の部分で精進が足りていない、一年後の今であればもっといい物も書けるはずである。それをとにかく痛感しながら、一旦ここで〆とさせていただきます。
作品の結末、そしてその後については、皆様に委ねます。自分が書いたところで、それは結末の可能性の一つにすぎません。
ぜひ、皆様の感想や考察、或いは妄想の類を、コメント等で教えていただければと思います。