• 異世界ファンタジー

幕間〜皇帝の寝室での一コマ〜


 即席で作った手持ちのベリーのジャムを使った氷菓子をデザートでお出しして、そのまま晩餐の仕込みにと帰ってゆく辺境伯家の料理人さん達を見送り、しばらく腹ごなしにゆったり茶を飲みながら浜辺で過ごしていたが、たくさん遊んでお腹いっぱい食べた俺とティーモ兄様の瞼が落ちそうなのを母様が察して辺境伯邸へ引き上げることになった。

 俺とティーモ兄様は其々護衛に抱えられ、迎えに来た馬車でゆらゆら揺られる内に辺境伯邸へ着く前に、俺は夢の中へと足を踏み入れた。


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 重厚な扉を潜り抜け、帝族の住まう奥の宮へと入る。

 流石に国に貢献するグラキエグレイペウス公爵やダリル辺境伯といえども、帝族の私的な領域には入ったことはない。今回緊急事態とのことで典医を2名引き連れたボト大臣に長い回廊を案内され、今代の皇帝がいる寝室へと足を踏み入れた。

 昼間だというのに日がかからぬどんよりとした薄暗い寝室だ。

 侍従が2人、皇帝が寝ているであろう枕元で待機していた。定期的に皇帝に水分やポーションを与え、目薬をさす為とのことだ。

 ボト大臣は侍従たちに軽く手を振り上げ、下がるように指示する。

 重厚かつ絢爛豪華な天蓋から濃いワインレッド色の豪奢なカーテンが垂れ下がる寝台の枕元へ案内されたグラキエグレイペウス公爵とダリル辺境伯は、カッと目を見開き無表情で横たわる皇帝を見やる。

「…やっぱり…似てるな…」

「……」

「…っ!」

「ヤクトシュタイン伯、どうかされましたか?」

「いえ。何もございません。お気になさらず」

 突然うずくまるダリル辺境伯に訝しげな目を向けるボト大臣と典医たちに、何事も無いと言うように返答するグラキエグレイペウス公爵は、収納バックから一つのポーションを取り出しボト大臣に進呈した。

「…これは…な…ゆた特製…ポーション…【松】…?松とは…?」

 ボト大臣と典医達は簡易の鑑定の持ち主で、毒や物の真偽などが鑑定できる能力があった。

「聖水で育てた薬草と聖水から作った特製のポーションと聞いています。【松】は上ランクとの事です」

「聖水からとは…また貴重な…一体このポーションをどこで…」

「詮索はしないお約束です。鑑定がお済みでしたら皇帝へ」

 森でお祖父様達が万が一怪我をしたら大変だ!と、以前ナユタが持たせてくれた各種ポーションキットの内の一本である。並のポーションを作ろうとしたらできてしまった偶然の産物だとこともなげに言っていた。
【松】だからね!とナユタが妙にこだわったポーション瓶を、矯めつ眇めつじっくりと見やるボト大臣を促し、典医にも間違いがないか鑑定させボト大臣自ら皇帝の口元へポーションを持っていく。

 若かりし頃から陰日向と支えて来た前皇帝の右腕だったボト大臣にしたら、今上帝は大切な主人の忘形見であった。今上帝には親のように慈しみ口煩くも気にかける者はボト大臣以外もういない。それもヴァニタイン公爵に遠ざけられ数年が経っていた。

「随分と御やつれになられて…」

 皇帝の痩せ細った姿はダリル辺境伯が言う通り本当に色以外ナユタにそっくりで濃い血を感じた。
 ポーションがスルスルと皇帝の口に入るとそのまま変化は起きず、やはりナユタに…とグラキエグレイペウス公爵が思った時、皇帝の身体に変化が突然に起こった。

「…ガッ……」

 皇帝の身体が跳ね上がりガクガクとあばれ始める。ここでナユタが居たのならば、某悪魔を祓う有名ホラー映画の題名を口に出していたに違いない。

「ルキウス様!ルキウス様!!お前たち!陛下をおさえるのだ!」

 ボト大臣は典医たちに指示を出すと、皇帝の名を叫びながら、皇帝の暴れる体を寝台からおちぬよう何とかしようと押さえつけていた。

「ええぃ!お前達も惚けとらんで手伝え!」

 先ほどまでの丁寧さは放り投げられ、公爵と辺境伯の2人が叙爵される前の嗣子時代の粗野な扱いとなったが、若輩者の2人は構わず皇帝を抑えつける手伝いに回った。1人は老体といえども大の大人5人で押さえつけても暴れる細身の身体は、どうあっても押さえつけられず、苦しげに発せられるうめき声を聴きながら、なんとか寝台から落ちぬよう制御するので精一杯だった。グラキエグレイペウス公爵とダリル辺境伯が身体強化を使おうとすれば、皇帝の玉体に傷もつこうとボト大臣が「脳筋の馬鹿者どもが!」と制止し、中々に気を使う抑え方だったことも災いした。

 時間にして数刻であったろうが、押さえつける側は何刻も全力で力を使ったかのように汗だくになり、息急き切ってやってきた数名の近衛が皇帝の寝室へ駆け込んだ時には、荒い息が部屋に満ちていた。

「グァ!ァーーー!!」

 皇帝の身体が一際弓のようにしなるとやがて全身が弛緩し、目や口など穴という穴から黒い粘度のある…タールのような物が溢れ出し寝台を斑らに黒く染めていった。周りにいた者達は一瞬、命が…!とも思ったが、皇帝からは瞳を閉じて息を吸う、か細い音が聞こえた。

「この黒い物は一体…」

「ボト大臣!!触ってはなりませぬ!!呪いの残滓です!!」

 黒い物を拭おうと手を伸ばしたボト大臣を止め、典医たちは皇帝の身体を調べ、城中にある聖水を持って来させるように侍従達を急かせた。近衛達には浄化の聖魔法が使える者を至急呼ぶ様に伝える。

「お前たち…陛下は毒を飲まれたのではなかったのか?」

 震える声でボト大臣が言う。

「我々もその様な見解で、どの様な治療をしても一向に陛下の容体は回復致しませんでしたが、グラキエグレイペウス公爵様が献上してくださった聖水のポーションのお陰で光明が見えました」

「おお…おお…!!陛下は…陛下は元のお姿に戻られる…と?」

「「尽力を尽くします」」

 そこから持てるだけ聖水を持って来た侍従へ浴槽に聖水を溜めるよう言い、そこに皇帝の身体を沈め清拭し、寝台に浄化の魔法を施し皇帝を寝かせつけた。来た時より顔色は良く、見開いていた目も瞑っている。後は任せようとグラキエグレイペウス公爵とダリル辺境伯が下がろうとするとボト大臣に止められた。

「モルゲンフルス公よ」

「はっ」

「…聖水のポーションを…まだ他に持っているならば言い値で買い取ろう」

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