本日、『花を食み、空を飛ぶ』十話を公開しました。
『花を食み、空を飛ぶ』の物語は残り一話となりますが、迷井現の物語はこれにて閉幕となります。
それにちなんで、迷井現という男について一つ語ろうと思います。
少し話す程度だった後ろの席の同級生が夏休み明けに亡くなった。元気に働いて休みは友達と遊びに行っていた職場の先輩が友達と遊んだ翌日に亡くなった。どうしてだろう。自殺したんだって。そんなことするとは思わなかった。
全く知らない他人というわけではないけれど、葬儀に出る程親しい間柄でもない。全てを終えた後にその事実を知らされる程度の間柄。だからこそその知らせを聞いて胸の内にしこりが残り、少しすれば気にならなくなる。けれど、そのしこりは綺麗に無くなったわけではなくシミになって残り、ふとしたときにそういうことがあったなあと思い出す、
迷井現とはそういう立ち位置に居た男です。
彼は希死念慮に取り憑かれた男です。ふとしたときに「死んでしまいたい」、「消えてしまいたい」と思いついては鬱々とする。けれど、全てにおいてそう思っているわけではなく、活気があるときは外で遊ぶことだってするし、楽しいと思うこともあれば笑うこともある。だから、周囲はそんなに思い悩んでいるようには思わない。訃報を聞いて初めて「悩んでたのかな?」と考えるのです。
彼はきっと生前明るくてよく喋る男だったことでしょう。この作品では迷井現の視点で語られており、全てが自己評価なのでそうだったかどうか、知る由もないのですがきっとそうだったのでしょう。故に、失言を悔いるタイプです。周囲は失言と思っていなくとも、発言そのものは悪くないけれど間が悪くて沈黙になってしまった。それが自分のせいに思えて、定期的に思い出してしまう。入浴中や目を瞑ったときとかリラックスしてるときに思い出した日には最悪で、そういうものが積もり積もって嫌になる。
そういうのってきっと希死念慮の有無に関わらず、誰にでもあることだと思うんです。そして、動くことすらしんどいときよりも、そこを乗り越えて動く元気が出てきた頃からが危険なのですよね。何せ、動くことができるということは自殺という行動をとれるということです。迷井現はその段階で、ふっと命を絶ってしまったのです。
他人からしたらそんなことでと思うようなことかもしれないけれど、きっかけなんて本当に些細なのでしょう。迷井現はジェンガみたいな男だったのです。一本抜いたらぐらぐらと揺れ、不安定なまま抜き続けた結果、ふっと抜かれた一本で全てが崩れてしまったのです。
そんな男の最後の最期に見た景色は向日葵のような笑顔と夜闇を晴らすように鮮やかな赤に染まる東の空でした。
それが幸せな最期なのか、不幸な最期なのか。それは迷井現のみが判断することです。