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縁遠く疎ましからずや唸り声、野暮と詠えば枝下雪落つ

 さて今年最後の19時辺り、眠くて眠くて仕方がないもので、さっさと寝てしまおうと思い筆を執っている。
 振り返るにも思い出したくの無い一年ではあったけれど、そのうちに消化されて何かになるのだと思えば、今振り返ってしまうのは野暮というもの。思い出や記憶は熟成させてこそだ。粗めのザルに通して、日々という水をかけて残ったものだけを取り出せばいい。丁度雪でカサも増す。今はまだ、今年の記憶は不純物が多い。

 では天然物の思い出と、養殖物の思い出とはなんだろうかと言い始めると、また野暮だからこんな日くらいはやめておこう。とはいえ「良いお年を」と言う事や「あけましておめでとう」と言う事を、やけに嫌う人に毒気を移されたけものは、どうにもこの季節の過ごし方が分からない。

 気持ちは分かる。どちらの気持ちも。日など徒然という気持ちも、節目だからこそという気持ちも。
 だからこそせめてとこのような言葉を打ち込んでいるわけだけれど、どうにもピントは合わない。
「こいつもまた、随分とまた、結構な具合に、すっかり拗れちまった」なんて言われると寂しい気持ちにはなるが、結局僕くらいのしょうもないけものにとっては、やはり今日は今日、明日は明日でしかないのである。
 そう言うものに限って、大掃除も済まず、抱負も何も抱かず、礼儀や感謝も無いというのが皮肉ではあるのだけれど、前二つは元々駄目なけものだ。節目だからと変わらないが、同じく節目だとて変わらない、感謝はいつもしているのだ。

 つまりは、この記事を読んでいる人に於いては感謝を言いたく思うし、特に小説なんかを読んでくれている人には立ち上がってちゃんとしたお辞儀、または正座をした上で頭を床につけたい所だ。正座をしながらの礼ならば任せて欲しい。礼で無ければ近しい所に土下座という物もあるかもしれないが、なんせ剣道で数百回と繰り返した礼だ。小説を書くよりも、きっと上手いぞ。
 とにかく今日であれ明日であれ、来年であれ、そういう事だろうと思う。読んでくれたか、ありがたいものだなと、いつも思っている。

 特に今日の日が変わってから小説ページにアクセスしてくれた人は、愛すべき同士のような想いを勝手に抱いてしまう。普段から、僕の文章に目を通す時間など人にはありゃせんだろうと思うからこそ、その時間をポケットの小銭で買い取りたいくらいだ。

 僕は僕の作品がとても好きだが、どうやら世間はそうでは無いらしい。極々少数の愛読者はいるかもしれないが、僕は人と上手くやれない質なものだから、どうにも僕という人格が邪魔をするのもあるようで、生きる事の面倒くささを感じながらも、僕という作者を置いて、作品を読んでくれた人には感謝のしようがない。ポケットの小銭も底を付くというものだ。

 とはいえそんな事はたとえであって、ポケットには小銭など入っていない。それがたとえなのかと言われると強く頷ける。買い取るだ、買い取れないだなんて当たり前に分かっている事をたとえと捉えるのは野暮でしかない話だ。共に小銭すら持ち得ないというリアリティに打ちひしがれようじゃあないか。

「金で読者など買えやしないよ、君」と頭の中で野暮な君が言う。「それは分かるけれども、では何を以て読者を?」と僕。「それはそこら中で議論されているじゃあないか」と君。「日光東照宮に参りたいものだね」と僕。「だから君は駄目なのだ」と君。
 言うまでもない下賤な冗句というわけだ。こういう文章を書くのも七面倒臭い上に、胡乱でうんざりする。「胡乱とはまた不似合いな言葉使いを」と君。「喧しい」と僕。
 
 縁遠く生きるのは酷く寂しいものなのかもしれないが、疎ましい牽制の声やら、脅しの文句やらは聞こえようがない。だからこれもまた正しいのだろうと、代わる代わるの僕の中から、代わる代わるの道を進むのである。

 しかし、思えば財布など持ち歩かなくなって久しい。春財布の色を気にする季節にはなるけれども、それを気にするような立場になるのはまだまだ後になるか、一生来なさそうだ。
 
 そんな事を書くのもまあ、つまらない話かと、区切りをつけようと思う。
 
 今年は何も出来ず、下らない一年であったと、強く思う。

 何がどうやら、これがああやら、ああもうどうもこうも、そんな話はうんざりだろう。
 とにかく今日はもう眠い、寝ようじゃあないか。
 
「はっぴい、にゅういやあ」というヤツは、胸を張れる一年を過ごした奴らだけで祝い合えばいいさと、いじけたけものはごろ寝をする。
 そういえば、聖ニコラウス氏は随分と遅れていやがるな。しかしまあ、手間賃代わりに物を用意するのも面倒だったし、思えば手紙を書くのも忘れたから、いくら聖人とは言え冬籠りのけものの元に顔を出す程暇では無い。

 とにかく、今日も不勉強なけものであった。
 明日はどうだろうかと思えば、この似非を冠して似非を書いた事を思えば、もしかすると何か変わるのかもしれないなと。

 変わるかもしれないと、そう、常々、思ってはいるのだけれどな、しかし。

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