「……そう言えば、先生はなんで私をここに連れてきてくれたんですか? 初めてであった時、『アナタの救世主に聞いてみるといい』って言ってましたけど、それって――」
「あら?てっきり知っていることと思っていたのだけれど。あの子は相変わらず秘密主義ね」
「――――誰の話をしているんですか? ……ルカ先生」
最も馴染みのある声が背後から飛んでくる。
しかしまさか、彼女がここにいるなんてありえない。
凛は驚いて振り向いた。
「な……名奈ちゃん!?」
日光で煌めく長いまつ毛、風になびくはちみつ色の髪――――
「もう会えないんじゃないかなんて思ってたのよ、久しぶりね。会えてうれしいわ、プティ・フルール」
名の主である少女は「相変わらずくすぐったい二つ名で呼ぶんですね」と、なんとも言えない表情で溜息をついた。
何が何だか、全く状況を理解できない凛は、名奈とルカ、二人を交互に見た。
――――まさか名奈ちゃんはルカ先生の教え子?でも彼女は確かEMA出身だと言っていたはず。
あれ、そう言えばCMAって存在そのものが秘匿されているから、経歴ではEMAを卒業したことになるんだっけ――!?
凛は戦闘中と同じくらいの速度で思考した。
「あ~、ナナさんだ! また会えるとは思ってませんでした~!」
糯米から思いもよらない言葉が飛び出して、凛はギョっとする。
「ヌオミィちゃん!? 大人っぽくなったね……というかやっぱり入学することにしたんだね」
「はい、もう四年ですから卒業ですよ~」
凛は開いた口が塞がらなかった。
そう言えば、糯米は「とある事件でCMAに保護されたので入学する数年前からここで暮らしている」というようなことを話していたことを思い出す。
「ま、まさ……まさか」
混乱して立ち尽くす凛の肩をぽんぽんと叩いた糯米は、バジルとチェイスの方を差す。
「最後の機会になるかもしれないし、私たちは四人でお話しよ~?」
「それで、今になってどうして会いに来てくれたの?」
ルカはまるで本当の娘を見るかのような優しい目で語り掛ける。
そう、この人は生徒を本当に大切に思っている人だった。名奈は思い出す。
「いい機会ですから……今までのお礼をしなきゃと思って」
そう言って名奈は、透明なフィルムで包まれた一本の白いバラを差し出した。
彼女は恥ずかしそうに視線を逸らすが、ルカは心から感激して丁寧にそれを受け取った。
「先生が私を見つけてくれたから、今の私がいます。それで、そろそろ昔の私や……家族と。向き合わなきゃいけないと、思って。……ずっと怖くて聞けなかったことを、聞いてもいいですか?」
ルカはぱちくり瞬いてから、優しく頷いた。
彼はきっと少女が考えていることを見透かしているのだろう。しかし彼女の言葉を聞きたかったのだ。
故にただ耳を傾ける。
「せんっ、先生は。自分の感情だけに任せて家を飛び出してきてしまった私を、愚かだって……思いますか」
名奈は恐る恐る、ルカのクリムゾンの瞳と目を合わせる。
その声は微かに震えていた。
ルカは微笑む。
「愚かだなんて全く思わないわ。自分の生き方は自分で決めるべきよ。……それとも、アナタは後悔しているのかしら」
愚かだとは思わない、彼がそう答えるだろうと名奈は予測していた。
しかし、最後の問いはまったく思いもよらないもので、若草色の目は大きく見開かれた。
――――後悔。
少女はその言葉を反芻する。
スポット、凛、ビジュー、ルカ。心から大切で、心から大切にしてくれる人と出会えたのは、この選択をしたからだ。
しかし家族を選んでいたとしたら?
母、父、妹、そしてソフィア――。
名奈には分からない。一体どちらが良かったのか。
結局答えられずにいて、ただ視線を彷徨わせるだけだった。
しかしそんな彼女を見ても、ルカはその表情を変えることはなかった。
「“あの子”にこのことを隠していたのは、昔の自分は恰好付かないと思っているから。それを知らずにいて欲しいから。……そうね?」
名奈ははっと顔を上げて、まん丸の目をさらに大きくする。
「ああ……言い添えておくと、アタシはアナタを嘘つきだなんて思ったことは一度もないわ。アナタは理想の自分を追い求められる、ステキな子よ」
ルカはよく覚えていた。
負けず嫌いで、今にも溢れそうな涙をぐっと堪えて立っていた幼い少女の姿を。彼女が密かに、爪が食い込むほど強く握りこぶしをつくって耐えていたことを。
しかし今となっては、当時とは随分変わった顔立ちで、しかも粋なプレゼントを用意して現れたのだ。
「『アナタが思う格好悪い自分』を一番知っているアタシに、会いに来てくれたわね」
きっとこんなに素敵で、誇らしくて、そして寂しいことはない。
「ナナ。アナタは、どんなことにも真っすぐ向き合える、強くて美しい子よ」
少女は息を呑む。
ああ、ああ。私はここで生きることを選んで、きっと良かった。
潤んだ若草色の瞳を隠すように俯いて、そして顔を上げて満面の笑みを浮かべた。
「恩はちゃんと返すタイプってだけです」
それはたった一本の、素朴なブーケだった。
――――白いバラの花言葉『深い尊敬』