今、書いている長編ミステリーは外国を舞台にしていますので、ところどころで街の様子を描写します。あと、簡単な観光案内のようなものも書きます。これは「仮想泥棒ゲーム」で慣れています。しかし、調べるのは結構時間がかかります。ネットで調べればいろいろ出てきますが、一つの情報に頼って書くわけにはいきません。間違いがあったり、情報が古かったりするかもしれないからです。あっちこっちから文章を摘まみながら(笑)書いたりすることもあります。もちろん、著作権的に問題ないようにはしています。
そして、こういうことをしていると、なぜか行った気になってしまうんですね。写真は綺麗なものが見られるし、有名どころではGoogleマップのストリートビューがあります。観光地を「見る」だけならこれらで十分でしょう。しかし観光は「見る」だけでなく、移動も楽しいものです。雑踏を感じる、というか、音を聞くことです。これはストリートビューでも感じられません。あるいは移動しながら見る景色。鉄道やバスに乗りながら、です。ストリートビューでも一応見られますが、クリックで動かすのが面倒(笑)。それにあらゆる道の景色が見られるわけじゃないですし。
しかし、これらの情報を駆使して、文章から現地にいる雰囲気を感じ取れるようにするのが、小説を書くときの目標となります。これは単なる観光案内ではないですよね。一人称なら「見ながら何を感じているか」を書くことになりますから。そういう文章が多いと、まるで紀行文のようになってしまいますが、別にそれでもいいかと思っています(笑)。本当は紀行文も書きたいんですよ。最近は旅行に行く機会がないので、書けませんけどね。しかし紀行文というのは優秀な観光案内であると思います。「奥の細道」だってそうですよね。