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検察側の証人

アガサ・クリスティの「検察側の証人」のドラマを見ました。小説を読んでないので(名作なのに…)筋を全く知らないで見たのですが、前半でだいたい結末(どんでん返し)までわかりました。クリスティならこういう結末になるだろうな、という予想からですけどね。でも、いやな結末の話だと思います。筆者にはとても書けません。読んですっきりするような話が好きだし、書きたいので。しかし話題になったり歴史に残ったりするのは、ああいういやな話の方だろうな、と思います。

さて、「検察側の証人」はもともと短編で、それを戯曲に書き直したものがあるようです。ドラマはその戯曲版を元にしているのでしょう。法廷での場面が多いため、戯曲に向いていると思います。裁判は陪審制です(イギリスは今でも陪審制です)。陪審制の一番「まずい」点は、印象操作が行える点でしょう。アメリカの法廷ドラマでも、弁護士が陪審員の「情に訴える」場面が多々あります。まあ、民事裁判ではある程度は仕方ない。でもこのドラマは刑事裁判です。しかもドラマをよく見ると、どう考えても「証拠不十分」なんですよ。直接証拠が何もないのに裁判で白黒付けようとしている。現代で同じようなことがあったら、検察側が起訴しようと思わないはずです。まあ、そこはドラマですし、過去の裁判のいい加減さを反映しているのでしょうから、特に問題とは思いませんが。

現代で法廷ミステリーを書こうと思うと、かなりの勉強が必要だと思います。既に良作がたくさんありますし、一度も裁判を見に行かないで書いたら、厳しく叩かれること請け合いです。そして法廷物を書くと、その後で本格物を書いた時などに「この証拠で裁判に持ち込めるだろうか」などと考えようになるのだとか。おおかたの本格物は「犯人を指摘したら終わり」ですが、本当にその人を有罪にしようと思ったらもっと厳密な証拠が、などと気にするようになるらしいんですね。だから法廷物は難しいんですよ(笑)。

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