昨日の続き、「ある有名作家の短編集」を読んでの感想です。とても記憶力のいい人が登場する、というのは昨日書きましたが、別の短編では「夢で見た光景を絵に描く」という人物が登場します。何度も同じような夢を見るそうなので、そういうことができるのかもしれません。でもそれはやっぱりすごい記憶力だと思いますね。
同じ夢を繰り返し見るというのは否定しません(筆者も同じ経験があります)。夢の中の景色がとても詳細に見えるというのも否定しません(筆者も同じ経験があります)。ノーベル物理学賞受賞者のリチャード・ファインマンは睡眠という行為(眠りに落ちるとはどういうことか?)を観察しようとして、ついでに夢の中の光景も観察して、髪の毛一本一本までちゃんと見える(しかも光の回折まで起こっている)ことを発見してます。見る人が見れば、夢はとても詳細なものなのでしょう。
しかし、それでも夢の中の光景を絵に描くというのはすごい記憶力が必要だと思います。目の前の光景を写生するのならいざ知らず、写真一枚すらない景色を描かなければいけないんですよ? いわゆる「映像記憶」の持ち主でないといけないんじゃないでしょうか。しかも絵心がないといけない。筆者なんか、毎日見ている自分の机の光景すら、絵に描く自信がありませんね。それはもちろん絵が下手なのと観察力がないのと、両方の理由によるものですが。
だからといって、その短編に「現実味がない」と言っているわけではありません。そういう「特殊な記憶や夢にまつわる話」をその作家さんがお好みなのでしょう。SFに近いと思いますね。ただ、夢の光景を題材にすると、ミステリーから少し離れてしまうのが気になるだけです。「夢のお告げ」で事件を解決するのはダメという決まりがあるからですかねえ。