何時もお読み頂き誠にありがとうございます。
『オッサン、人生に絶望死したら異世界生活で救われた件(仮』の
第148話 閑話:ゴライオスの守護神~第150話までの3話でかなり色々とご意見を頂いておりますので、こちらに書く事にしました。
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色々とご意見を頂いた3話ですが、この3話で別に『ざまぁ』を書きたかった訳では無く、世の中『助けられて当然』とか『精神的におかしいから罪に問われない』とかって変だと思ったので入れたのです。救いがある人と救いの縁が無かった人は明確にしたかった。
何が何でも健二が救って当然と言う事は無い と言う事です。必死で真面目に努力して日々生きて居る人は救われ、そうで無い方(人を陥れたり、人の足を引っ張ったり、害を及ぼす人)はそれなりの結末があるべきかと。
そうでなければ、被害者たち救われないし、更なる被害者が増える と言う事もあるのでは? と。
今の世の中って、実際にそう言う事が非常に多くないですかね?
例えば、無差別な大事件を起こしたが、(弁護の戦略として)精神鑑定で罪に問われないとか、 亡くなった被害者の人権より、生きてる加害者の人権のみを優先する弁護士とか。
被災地で必死で救済活動中の自衛官の方々に、謂われの無い罵倒のプラカードを掲げて邪魔をする余所の地域から来た集団とか、余りにも変だと感じるのです。
10人居れば10個の正義があるので、健二の正義が全てとは思いませんが、良いにしろ悪いにしろ、一人一人の選択は巡り巡って自分にも影響して来ると思います。きっと、いつの日か、この選択が健二にも影響があるかも知れません。
実際のところ、この3話の主人公であった女性騎士が適当に反省?して、助かるパターンも書いたのですが、その場合、やはり再犯して被害者が増える未来しか浮かびませんでした。
それでは、この作品の裏テーマである、頑張っている人への『人生の救い』では無いと却下にした経緯もあります。
とは言え、後で読んでみて、若干グロかったかな?と反省しましたが。
もしかすると、今後あの3話に関しては再編集する可能性もあります。
以上、ご意見ありがとうございましたm(__)m