いつも国以下略をご愛顧頂きありがとうございます。
今回も軽く補足です。
近衛 前久が1555年に前嗣と名を変えて京で政治活動を始めたのは事実です。
その後、1558年に三好 長慶と足利 義輝との和睦が成立すると、反三好派の上野 信孝や進士 晴舎が三好との取次役となり、三好 長慶と蜜月だった伊勢 貞孝は失脚一歩手前に追い込まれました。
その裏に近衛一族の暗躍があったというのは想像で書いていますが、二度目の和睦の際には反三好派の態度が180度変化したのもまた事実です。伊勢 貞孝はある意味被害者と言えるでしょう。
近衛 前久はこの他にも文書偽造に手を染めたりもしますので、作者的には良い印象を持てない人物だったりします。
いつも通りマニアックなネタですが、少しでも面白かったなら幸いです。