私は小説よりも漫画や映画を楽しむ派なので、文章を書いている時も漫画的映画的な画を思い浮かべて動かすのですが、気を付けているのは『書き過ぎない』ことでしょうか。
自分の作品が魔法やらなにやらでドンパチするようなものではないので、自然と映画でもスターウォーズといったものではなく、人間模様を描いたものを観ることが多いのですが、そこではストーリーよりも俳優さんの挙動を見てしまいます。
特に往年の名俳優と呼ばれる方々は、呼吸であったり目であったり、言葉以外のところで語ることが多いといいますか、観ている側に『悟らせる』ような、ほんのちょっとしたテクニック? が散りばめられていて、勉強になります。
冒頭でもお伝えした通りの『書き過ぎない』というところにも繋がっていて、小説ではその呼吸も目も文字で記さなければならない。
大学時代の恩師である藤崎康先生の『映画論』という本にもあるのですが、いい映画監督は『あえて撮る』『あえて撮らない』ことで、どこを魅せたいか絞るそうです。勾配を作り、平坦な映画にしないこと。
先生曰く、イーストウッドの撮り方は、他のどの監督にもできない最高の『撮る』『撮らない』撮り方だそうです。
小説にも使える考え方だなと思い、自分も『あえて書く』『あえて書かない』を実践しているのですが、さっぱりわかりません。気を付けているだけ。
アニメ『カウボーイビバップ』も、アニメの20分間にしっかりと1話完結でまとめているからこその美しさがあったのですが、映画版で2時間好きに使っていいよってなった時、それなりに内容に批判があったことを思い出しました。
色々と風呂敷を広げ過ぎて、いつものビバップじゃないっていう人々もいた一方で、広げ過ぎたから何度も繰り返し観てみると気づける点があったり、好評でもあったんですけどね。自分は映画版、大好きです。
書き過ぎない。でも書き過ぎるとそれはそれで面白い。結局答えなんてないんですねぇ。