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「最強」という言葉をキャッチコピーに使うべきか迷っている

 過去作『ハイランド・ハイジア』の掲載をはじめました。

 一気に最後まで載せるのが一番楽なんですが、それをやって人の目に留まるかというとそんなことはないわけで。

 まぁ逆に定期的に更新しても人の目に留まるとは限らないんですけど、こっちの方が希望があるのでどうせならこっちの道を選ぶぜ!

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 さて、『ハイランド・ハイジア』のお話。

 前々からキャッチコピーに「最強」という言葉をつけてはいるのですが、今更ながらそれに違和感を抱いておりまして。

 というのも、主人公のヴィオレは「失敗作」にされてしまったことで「最強」ではなくなる、というニュアンスなんですけど、そもそもヴィオレは実際に戦うことを想定した調整をされてはいないんです。

 まだそこまで公開してないんですけど、だからこれはネタバレなんですけど、そもそも「近況でネタバレを見たから読まない」のと「新着リストで見たけど興味ないから読まない」はそんなに変わらないので、どうせなら「おっそういう話なのか読んでみよ」という方がいることに賭けてみているわけです。

 本題に戻ります。

 「最強」と聞いてイメージするのは「敵と戦って相手を倒す」ことだと思うんですけど、ヴィオレは「戦わずして勝つ」タイプの存在になるはずだった「失敗作」なんです。

 だから、「最強になるはずだった失敗作」というキャッチコピーに、自分で書いたくせに若干の違和感があるというか。

 まぁこれも数年経ってようやく抱いた違和感なんですけど。

 そう考えると「人々の希望となるはずだった失敗作」の方がいいのかなぁ。と思っていたりするのです。

 でも「最強」って言葉、響きません? 「最強になるはずだった」とかなんか燃えません? え? 結局最強じゃないからだめ?

 最強じゃないけど苦境から立ち上がるのがかっこいいんだよ。

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 以下、宣伝。


 舞台は放射能に汚染された世界。人々は山地に登り、地下都市・浅間を築いて細々と生き延びていた。

 突然変異したDNAを利用し、異能力を手に入れて外敵と戦う少女たち・ハイジア。その中でもスペックの低いヴィオレは、自分が役に立てる場面を探し求めていた…。

 ──最強になるはずだった失敗作は、その存在理由を取り戻す。


 『ハイランド・ハイジア』をどうぞよろしくお願いします。

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