しばらくリアルが忙しく、ヨムカツができていなかったが、ぼちぼち再開します。
ただ明日より半年間労働に従事するので、ペースはかなり落ちると思います。
読めてない作品も必ず読みにいきますので、お待ちいただければと幸いです。
次作もネリネリしていきたいが、全くできていないので早くて半年後になりそうです。
さて、最近資格を取るために頑張ってはいたのですが、たるんできている。
余計なYouTubeを見たり、しょーもないポチポチゲーをどうしてもやってしまう。
なので、ここで原点回帰して大切なことを改めて思い出す時間を取ろうと思う。
まずは私が小説を書き始めることに対して最も影響を受けた作品の台詞から。
作品は「賭博黙示録 カイジ 電流鉄骨渡り編」。
借金まみれでどうしようもなくなった人たちが人生の一発逆転をかけて、地上74mにかけられた鉄骨の上を渡る場面。落ちれば当然死の状況で、精神的に追い詰められた挑戦者達が鉄骨の途中で、「お金はいらないから辞めさせてくれ」と必死に主催者の利根川に命乞いをする。その様子を見ていた時の利根川の台詞です。
マズかったら消します。
【利根川台詞】
ずれた命乞いだ
ギブアップ?
真剣勝負にそんなものあるか、プロレスじゃあるまいし
バカどもがっ!
まったくこいつらとことん腐っている
わしのように生きるか死ぬかの修羅場を潜ってきた人間からすると、奴らの精神はまるで病人
並の治療では救われぬほど、心性が病んでいる
その病気とはつまり
どんな事態に至ろうと、とことん”真剣になれぬ”という病だ
自分が特別な存在であることは人間なら当たり前だが、奴らはあまりにそれに溺れすぎ
自分の空想と現実をごちゃまぜにする甘ったれだ
いつだって許されると思っている
借金を踏み倒そうと、あるいは、極論人を殺したとしても
自分は悪くない自分は許される
なぜなら
今起こったこの事態はあくまで「仮」で、本当のオレのあずかり知らぬこと
そう考えるからだ
嘘じゃない
その証拠に今日これほど赤裸々に命懸けの勝負
敗北は死と伝えているのに連中はそれを自分の都合で勝手にねじ曲げる
気が変わればリセットできるくらいの勝負に自分で作り変えてしまうんだ
真剣でないのだ!
奴らにとってこの絶体絶命の橋ですら真剣になれぬ戯言
言うなら架空の勝負
本当ではない
だから電流を切れだの、ギブアップだのと口走る
都合が悪くなればおりるのだ
根っこが腐っているとしか言いようがない
通常奴らは生涯その「仮」から目覚めない!
愚鈍に寝たいだけ寝て、不機嫌に起き出し、半ば眠っているような意識で日々を繰り返す
退屈を忌み嫌いながらその根本原因、病理にはほおかむり
少し熱心になる瞬間といったら、ケチな博奕やどーでもいい女を追いかけまわす時くらい
なぜそんなくそ面白くもない気分でこの人生の貴重な1日1日を塗り潰せるかというと
いつもどんな時も現実は奴らにとって「仮」だからだ、つまり偽物
現実が自分の本当のはずがない、奴らはそう思いたいんだ
ゆえに30になろうと40になろうと奴らは言い続ける
自分の人生の本番はまだ先なんだと!
「本当のオレ」を使っていないから今はこの程度なのだと
そう飽きずに言い続け、結局は老い死ぬっ
その間際、いやでも気がつくだろう
今まで生きてきたすべてが丸ごと「本物」だったことを!
人は仮になど生きていないし、仮に死ぬこともできぬ
当然だ
問題はその当然に気が付いているかどうか
真に覚醒しているかどうかだっ!
それがこの世で成功するか否かの最初の別れ道
(出典:「賭博黙示録 カイジ」 著者:福本 伸行)
この「真剣になれぬ病」めちゃくちゃ刺さった。
これを初めて読んだ時、自分のこれまでの人生がとても恥ずかしくなった。
先行きが不安で自分のやりたいことすらわからず、ただやりたくない仕事を毎日やり続ける。
いつかやりたいことが見つかって、いつかよくなって、いつかお金もたくさん稼げるだろう。
いつかYouTubeで見るような何かを突き詰めてそれをお金に変えて生きていくような暮らしができるだろう。
今はそれが見つかっていないだけで、2,3年後にはどこかの何かのきっかけで、その道を進むのだと。
ただそう漠然と妄想しながら、YouTube鑑賞とソシャゲで毎日を浪費していた。
恥ずかしい。
情けない。
自分の都合で目の前の現実を捻じ曲げて見ないようにしていたことに何も感じていなかったのだ。
それが恥ずかしかった。
今の行動が2,3年後の妄想と繋がる訳がないのに、無理やり繋げていた。
本気を出せばすぐに繋がる、今は本気を出していないだけと、「真剣になれぬ病」にかかった私はひたすら2,3年後の妄想をリアルとしてみていた。
目の前の現実を「仮」だと本気で信じていた。
数年後の妄想を本当の自分とすることで、現在の快楽に溺れることの罪悪感を紛らわしていた。
その後は紆余曲折あり今やっと自分の人生のスタート地点に立てたところです。
毎日行動として積み重ねることは正直辛いです。
いつ報われるのか、もしかしたら一生報われないのではないのだろうかと不安に駆られます。
でも、ただなんとなく働いてYouTubeとソシャゲで浪費していた時期と比較すると虚無感に襲われることは少なくなりました。
よく脳は現実と妄想の区別がつかないという話を聞きます。
以前は目標と現実が全くリンクしてないことに脳が戸惑っていたのだと思います。
現状の延長線上にない妄想だから、「自分の人生の本番はまだ先」「本当のオレを使っていないだけ」と脳が今の自分ではないどこか凄い自分像を作り出して、無理矢理に現実を正当化していた。
それゆえに、YouTubeを見終わった後になんて無駄な時間を過ごしてしまったのだろうと虚無感に襲われて後悔するのは、現状のどこにもつながっていない人生から少しも変わっていないからだろう。
そして、始末に追えないのが私のようにコロコロ妄想の目標が変わるような曖昧な人間は何をしてもただの時間の浪費でしかなくなってしまうことだ。
日々変化するような漠然とした目標に対して行動も積み重ねも何もない。
まずは道の先、目指すべき目標を決めるところから始めなければいけない。時間をかけて。
…なんか盛大に脱線し始めている気がするので、この辺でやめておきます。
まあ現状の再確認と人生の目標を忘れずに日々積み重ねていこうねって話でした。
長々と自分語り失礼致しました。