あとがき
『白線歩き』を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
この物語を書こうと思ったきっかけは、子供の頃に一度くらいはやったことがあるかもしれない「白線の上を歩く」という遊びでした。
白線から落ちたら負け。
そんな単純な遊びを、もし子供が本気で、
「白線から落ちたら世界が滅びる」
と思っていたら。
そして、その子が大人になるにつれて、白線がただの遊びではなくなっていったら。
そんなところから、この物語は始まりました。
この作品で描きたかったのは、少女が死ぬまでの人生そのものというより、
「自分の世界が壊れていく感覚」
です。
家にも居場所がない。
学校にも居場所がない。
父親と母親の喧嘩から逃げられない。
誰かの言葉で傷ついても、それを誰にも言えない。
そうやって少しずつ世界が狭くなっていく。
その中で、少女にとって唯一残っていたのが「白線」だった。
だから彼女は、最後まで白線の上を歩き続けます。
世界を守るために。
あるいは、
自分自身を守るために。
最後に白線から足を下ろしたとき、彼女の世界は真っ暗になります。
でも、それは世界そのものが滅びたわけではありません。
彼女にとっての「世界」が、そこで終わったということです。
そして最後まで読んだ方なら、おそらくもう一つの疑問が残ったと思います。
父親は、本当に事故で死んだのでしょうか。
母親は、何を知っていたのでしょうか。
あの「にんまりとした笑顔」は、何を意味していたのでしょうか。
そこについては、あえて答えを出しませんでした。
真実を一つに決めてしまうより、読者それぞれの中に「白線の向こう側」を残したかったからです。
この物語を読んだあと、もし道路の白線を見て、
「ここから外れたら、何かが終わるのかもしれない」
と一瞬でも思っていただけたなら。
この作品を書いた意味はあったと思います。
ありがとうございました。
作品解説
1.「白線」とは何だったのか
物語の冒頭では、白線は子供の遊びです。
«そこから一歩でも外れたら、世界が滅びる。»
しかし少女にとって、白線は単なる遊びではありません。
両親の不仲。
離婚。
母親から聞かされる父親の悪口。
学校での無邪気な悪意。
父親との面会。
家庭内の喧嘩。
そうした現実から逃げられない少女にとって、
白線の上だけが、自分でルールを決められる場所だった。
現実では、自分の人生を自分で選べない。
けれど白線の上なら、
「ここから落ちない」
というルールだけは自分で決められる。
だから白線は、
「自分の世界を維持するための境界線」
になっています。
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2.「世界が滅びる」の意味
子供の頃の少女は、
「白線から落ちたら世界が滅びる」
と思っています。
しかし実際には、彼女の世界は少しずつ壊れていました。
父と母が喧嘩する。
母が父親の悪口を言う。
学校で傷つけられる。
父親が死んだと知らされる。
そのたびに、少女の世界は狭くなっていきます。
つまり、
世界が滅びるから白線を歩いていたのではなく、世界が滅びていくから白線にしがみついていた。
という逆転があります。
最後の、
«世界は、とっくの昔に滅びていた。
私がまだ、
子供だった頃に。»
という一文は、そのことを表しています。
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3.「無邪気」という言葉
作品の中で、あえて「無邪気」という言葉を掘り下げています。
«無邪気って、邪気がないことだよね?
本当に?
私には、邪気しかないように見えた。»
これは少女から見た「子供の残酷さ」です。
子供は、悪意を持って人を傷つけるとは限りません。
だからこそ残酷なことがあります。
「片親なんだ」
という言葉を言った同級生にも、本人なりの悪意はなかったのかもしれない。
でも、傷つけられた側にとって、
悪意があったかどうかは関係ない。
この作品では「無邪気」という綺麗な言葉に対して、少女が疑問を投げています。
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4.父親の「事故死」
この作品で最も意図的に曖昧にした部分です。
本文では、
«父は事故で死んだと聞かされた。»
としています。
「事故で死んだ」ではなく、
「事故で死んだと聞かされた」
なのが重要です。
少女自身が事故を見たわけではありません。
そして母親は、父親の死を悲しんでいた。
しかし、その数日後。
母親の隣には、
«死んだはずの父だった。»
男がいる。
ここで読者は、
「父親は本当に死んだのか?」
という疑問を持つことになります。
ただし、この作品では、
父親が生きていたのか、母親が何をしたのか、少女が何を知らされていたのかを断定していません。
その曖昧さそのものが、この作品の怖さです。
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5.母親の笑顔
個人的に、この作品で一番重要なのが母親の、
«にんまりと笑った。»
という描写です。
母親が何を考えていたのかは書いていません。
嬉しかったのか。
少女が死んだことを喜んだのか。
父親との再婚を望んでいたのか。
あるいは、もっと別の事情があったのか。
答えはありません。
ただ、
少女がいなくなった直後に、母親の人生が何かしら好転しているように見える。
それだけです。
だから読者は、自分で空白を埋めることになります。
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6.最後の「白線なんかじゃなかった」
この作品の最大の反転です。
読者はタイトルからずっと、
「少女は白線を歩いている」
と思って読みます。
しかし最後に、
«私が歩いていたと思っていた白線は。
最初から、白線なんかじゃなかった。»
と否定されます。
ここで重要なのは、
「何だったのか」を説明していないこと。
白線とは何だったのか。
少女が見ていたものなのか。
記憶なのか。
幻覚なのか。
生と死の境界なのか。
あるいは、少女が自分自身を現実につなぎ止めるために作ったものなのか。
どの解釈でも読めるようにしています。
そして、
«白線だと思い込んでいた。
そうであってほしかった。»
という言葉によって、
「少女が見ていた世界そのものが、彼女の願望によって形作られていた」
とも読めるようになっています。
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7.この作品の本当の怖さ
『白線歩き』は、幽霊が怖い話ではありません。
殺人鬼が出てくる話でもありません。
一番怖いのは、
少女が「自分の世界がおかしい」と思いながら、それでも誰にも助けを求められなかったこと。
そして、少女がいなくなった後も、
世界は何事もなかったように続いていくことです。
母親は生きている。
父親も、もしかしたら生きている。
街には車が走る。
テレビではニュースが流れる。
世界は滅びない。
ただ一人の少女の世界だけが、消える。
だから最後の「世界が滅びた」という言葉は、
世界全体ではなく、「私にとっての世界」が終わった
という意味でもあります。
『白線歩き』は、
「白線から落ちたら世界が滅びる」
という子供の空想から始まり、
最後には、
「世界が滅びたのではなく、世界だと思っていたものが最初から壊れていた」
というところへ帰ってくる物語です。