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短編 十五分 について

年末に入り、他の方の作品を読む中で、ふと、自分が書きたいことを思いつきました。それで書いてみたのが、この「十五分」です。

私はなにか物事に引っかかりを感じると、その引っかかったことについて深く思考し、ぐるぐるしちゃうタイプで。で、そのぐるぐるした結果の「塊」みたいなもので、心の中にとどまっているものがあるんですね。

そのうちの一つが、この「十五分」でした。


私はコロナ禍に家族を失いました。医療体制の逼迫が考えられるとして、対策を叫ぶ声が大きくなってきた頃で、面会が厳しく規制されてきた頃です。

コロナにかかり、家族に会えないまま、亡くなる人がちらほらと出てきた頃です。私の家族は、コロナではありませんでしたが、重篤な病気の末期でした。
仕事と小さなこどもの子育ての間にいた私は、在宅医療という選択肢を取ることができません。

結果、病院で最後を迎える選択肢を選んだ後、パンデミックが起こりました。

「少しでも、会いたい」

その思いから、フレックスをフル活用して、平日数日、毎週末会いに行きました。
しかし許された時間は十五分。五分、という看護師さんもいました。

しかたありません。万が一私がウイルスを運んでいて、クラスターの原因となってしまったら。家族の命だけでなく、他大勢の命を奪うことになります。
徹底して消毒、マスクなどの感染対策を取りました。

それでも、絶対はありません。
私はずっと、「病院にいる他の患者さんのことを考えたら、私は行くべきではないのかもしれない」という苦悩を抱えながら家族に会いに行きました。

でも言うのです。私の大事なあの人は。
「ここは監獄のようだ」
「家に帰りたい」
「家族に会いたい」

人一倍寂しがりで、人が大好きなあの人は。
そんな人を一人、個室の病室に残して、ただただ外から祈ることができましょうか。

小説の通り、最後の一日を、私達は共に過ごすことができました。
でも、私の行動が正しかったかと問われれば、その問いにはっきりと答えることができません。

ただただ申し上げたいのは、医療従事者の皆様に、心から感謝し、お礼を申し上げたいということです。


なお、家族が入院していた病院は、今はビデオ会議システムを通じたオンラインでの面会ができるようになったようです。家族の顔が見えないまま亡くなる方が、少しでも少なくなることを、心から嬉しく思います。


ちょっと暗い話ですが、短編「十五分」もし興味がございましたら読んでみていただければ幸いです。

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