さ~て始まりました、不肖この岩井喬が深夜テンションでお送りする【わかわか②】です!
……ってこんなテンションでやっていられるか。まあ、気分によってその辺は適宜調整致しますが。
先日【わかわか①】で宣言いたしました通り、ネタ及びそれに関する持論を「岩井が勝手に」述べます。ご意見(賛成でも反対でもよく分からん! でも)ございましたら、是非ともコメントいただけると光栄であります(`・ω・´)
で、トピックとしては一番目、ということになりますね。
今日のお題はこちら!
▶『ゴジラ』(1954)と『シン・ゴジラ』(2016)は、いわゆるゴジラシリーズなのか?◀
☆議論対象作品(ネタバレ注意)
〇『ゴジラ』(1954)、『シン・ゴジラ』(2016)
あ、もし御覧になっていなくとも、今後観られるきっかけになったりしたら嬉しいです。また、知ったことかというスタンスでの殴り込みのOKにします(大丈夫なのか?)
そして本題。
岩井のスタンスとして、ゴジラはたくさん見てきました。三歳のころからレンタルビデオ店(当時はVHSが主流だった)を借りてきて、さんざん観漁ったものです。
が。僕は『ゴジラシリーズ』といわれる一連の作品群を、あまり高評価しているわけではありません。無論、素晴らしい作品もあります。でも、それも片手の指で数えられる程度の数。シリーズ三十作くらいある中で、当たりを引く確率はそうそう高くないのです。
まあ、全部観ましたけどね。
では、岩井が映画史上二番目に好きな『ゴジラ』、九番目に好きな『シン・ゴジラ』(両方共殿堂入り)はどうなのか? そんな人生を変えたほどの傑作を含みながらも、ゴジラシリーズを否定するのか?
……否ッ!
逆転の発想です。『ゴジラ』『シン・ゴジラ』の二作品は、「ゴジラシリーズではない!」というのが岩井の主張。
【Ⅰ】『ゴジラ』(1954)の場合
これはややSFの毛色を濃くした「戦争映画」です。
怪獣たるゴジラの暴れっぷりには目を見張るものがありますが、そして何度も特撮シーンばっかり観ていますが、それでもゴジラはアクセント。
当時の観客の方々は戦時中の東京大空襲を思い出し、相当メンタルがやられたとか。
それを決定づける、重要なワンカットがあります。
ゴジラが破壊の限りを尽くした後の東京の情景が映るのです。もちろん特撮ですが。
折れた電柱。黒煙の立ち上る地面。瓦礫の山。病院の廊下にまでならんだ負傷者の列。
無論、筆者は戦争体験などしておりません。が、それでもぐさりと刺さるのは、ゴジラ本体ではなく「一体ゴジラが何をしたのか」ということ。
手段が違うだけで、東京が焼け野原にされ、家族や友人を亡くした人々の描写は、紛れもなく戦争映画の代名詞的な展開であり、実体験などしたことないのに凄まじい胸の苦しさ、息が詰まるような思いというものを突き付けてきます。
これを戦争映画とカテゴライズせずに戦争を語るのは、いささか無理があるのでは、と。
だから、ゴジラやモスラやキングギドラが出てきてドンパチやるのは怪獣映画で構わないけれども、『ゴジラ』は一味違うぜ、というところですね。
【Ⅱ】『シン・ゴジラ』(2016)の場合
「これって、面白いけどゴジラ映画じゃないよね」
「ああ、俺もそう思う」
今作は政治色が強く、そのぶんゴジラ(と、後に呼称されるようになる巨大不明生物)も今までにない描かれ方をしています。
まず、形態変化。魚なんだかトカゲなんだかよく分からない形態で、のそのそと上陸してきます。後に「きちんとした」格好でゴジラとして再登場しますが、既存の生物の常軌を逸した大胆な描き込みは、今までのゴジラ映画とは一線を画すもの。
そして、なんとなく全体に漂うキレのある編集と独特なカメラワーク。エンドロールを観てみたら、なるほど、この映画の製作にあたったのは『新世紀エヴァンゲリオン』のスタッフ陣。
実写もアニメもできるんだからすげえよ、という話は置いておくとしても、全く新しい、否、革命的な切り口でゴジラを描きます。
自衛隊の出動にも手間がかかり、かと思えばしっかり作戦が立てられており、けれど結局はゴジラに返り討ちに遭う。
これだけで、今までのゴジラシリーズ全部ひっくり返ります。ただ怪獣が出てきたから、自衛隊も出しておこう、という安直さ、妥協がない。
ううむ、これはゴジラと呼べるのか? ゴジラシリーズで括れるのか?
悩んだ結果、筆者が出した結論は『シン・ゴジラ映画』という枠組みを新たに設けるというもの。
以上をまとめると、ゴジラ登場作品というのは▼
「戦争映画」→「ゴジラシリーズ」→「シン・ゴジラ映画」
という列で並んでいることが分かります(?)
皆様いかが思われますでしょうか? お暇な方、いらっしゃればコメントいただけると幸いです<(_ _)>