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「魔法の木エニシダ・・・」で母親の喜びと苦悩を描きたかった

 「魔法の木、エニシダの香り」を書いたのは かれこれ20年ほど前だったろうか。
 4歳を頭に3人の子育てをしていた30年以上も前のこと、当時、胸にはいつも疑問、怒りがぐるぐると渦巻いていた。その頃のことを思い出しながら書いたものだ。
 結婚し、あっさりと自分の仕事を捨てて夫の仕事先に暮した。そのような時代だったと言えばそうなのだが、あまりにも簡単に人生を決めた自分に気が付いた時には、すでに3人の子持ちだった。

 しかしながら 我が子はかけがえのない存在で、子育てに注ぐ時間は喜びであり、苦だと感じたことはなかった。

 ただ、母親だけでは子供を育てるには限界があるものだ。

 その点、夫の職場の家族の住宅は、こどもたちの交流があり、母親同士の助け合いもスムーズで、恵まれてはいた。

 しかし、母親にはしなければいけないことが山ほどあるものだ。

 その間に、子供がひとりでいることなく、たくさんの体験ができる保育園は、有難い存在であった。

 最初の子は、すべてが未経験。保育のプロの保育士さんに教えてもらい、他の母親たちからも助けや刺激をもらい、安心して楽しんで子育てできる余裕をいただいた場として保育園はすばらしい施設。

ただし、母親の収入もそれなりにないと、保育料はバカ高かった
誰もが必要な時に簡便に、低料金で安心して育児を手助けしてもらえる仕組みがあったらどんなにいいだろうと思っていたものだ。

 しかしながら、当時は、母親がどんな仕事をしていても、保育園に預けることを白い目で見る人が多かったのだ。ましてや、仕事以外の理由でこどもを預けたいなんて、言える時代ではなかった。

 あの頃に、「子供を保育所なんかに預けるから、こどもが不良になるんだ」

とののしった議員たちがいた。大声で言わなくても、女性は結婚して専業主婦であるべきだという意見が大多数ではなかったか。その土壌が、女性の働き方を狭め、いまだ女性の国会議員の数が先進国の中では最低、という現状を作ってきたのは間違いないだろう。

物語の中に登場する母親たちは、全員が、子育てに協力してくれる存在を求めている。保育を一人で抱えこみ、自分を壊していく母親もいる。

池田美和は、几帳面な母親でなんでもきちんとしなければきがすまない女性。夫は仕事で忙しいのだから妻は家の仕事を完璧にしろという類いの夫の暴言で傷つき、毎晩子供を叱りつける声が近所じゅうに響いていた。

小寺さんは、お医者さん、どうしても子供を預けないと仕事できない。でも乳児を預ける場所や時間などを考慮すると個人に預けざるを得ないことも。当時はまだ産休も整ってなかった。

八木さんは、英会話をすぐ近所で習っていたのに、ちょっとのことで最愛の娘を失ってしまった。短時間でも責任を持ってみてくれるシステムがあれば、子育て中の母親も したいことを我慢ばかりすることもないのだ。

しかし、そんな場を求めることがわがまま、母親失格と言われた時代だった。

保育士さんたち自身も、ご自分の子は他の保育所にあずけて他の子を見るという葛藤を抱えながら、実に愛情深く、熱心に保育をしてくれていた。

日曜日には研修も多いと聞いている。それぞれのご家庭で、困難な問題も多々あったのだろうけど、常に明るく、新米ママさんたちを勇気づけてくれていた。

 なかなかそのようなことまで深く描くことはできなかったけれど、

次世代を担っていくこどもたちのために、そして、女性たちの活躍のために、

保育園、あるいは似たような施設の存在が必要不可欠なのだということを込めた物語にしたつもり。

子どもたちがいて、実際に躍動していた保育園の廃園問題。いとも簡単につぶしてしまうことができた社会情勢、体制が、その後、待機児童など、女性の働き辛い問題を生み出してきてしまったのだ。と、そのことを書きたかった。

産休制度も充実してきて、夫の育休を取りやすくしよう、女性の働き方改革などと、30年前に比べれば大きく変化しているが、それでも、虐待で命を失う子供のニュースを見るたびに、個人の問題だけではないのではないか、母親を助けてくれるシステムや施設は、まだまだ少ないのだろうなあと悲しくなるのです。










1件のコメント

  • 最後までお読みくださったことに 感謝いたします。
    描ききれないというよりは、視点がさまざまで絞り切れなかったことを反省しています。
     このストーリーは、母親としてのひとつの区切りのつもりです。

     ふっきって 「本当の小説」を書いていきたいなあ。。。
    ありがとうございました。
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