「物語を愛する人たちにとっての居場所」
カクヨムのテーマらしい。
では「物語を愛する」とは一体、何を以て「愛」とするのか。
・読書が好き
・書くことが好き
・作品の登場人物や物語が好き
少ない頭で数秒考えてみたが、考えられるのはこの三点だろうか。
上二つは、そもそもサイト名で明らかなことではないか。「カクヨム」となっているのだから。
書くこと、そして読むこと。これらは物語、もとい小説を愛しているならば、どちらか片方には属していることになるだろう。
最後はあえて抽象的に、「作品の登場人物や物語が好き」と申し上げたが、これは具体的に言えば、「自分の作品」と「他作品」に大別することができるだろう。これも愛だ。
自分の作品が大好きだというのは、至極当たり前のことであるが、同時に、書き手側にとっては最も忘れやすいものだろう。今、どうしてだろうと感じた方は、一度考えてみて頂きたい。
仮に、今そこに、あなたが書いた作品があるとしよう。これまで愛を持って書いてきた、素敵な素敵な、抱きしめたくなるような、美しい物語だ。色んな人に読まれて、色んな人に大切にされてきた、大切な物語だ。
この日、あなたは更新をしようと、急いで執筆を進めていた。大切な読者さんのために、毎週一度の更新に間に合わせようとしていたのだ。
ここで一度考えてみてほしい。
急いで更新した理由は、読者さんのためであるわけだ。けれど、あなたが作品を続ける、本当の理由は何か。
作品を、登場人物を愛しているからではないのか。
そして、急いで更新したものに、愛が入っているかどうか。それを常に、心の片隅に置いてあってほしく思う。
勿論、物語を愛しているがゆえに早く書いているのならば、それはそれでよい事だろう。
二次創作として、好きな作品を書きたい場合は、更に必要なマナーやモラルがあるわけだが、これらを守ることは大前提だ。忘れられがちなことであるが、二次創作というのは、普通であれば「行ってはならないこと」として区分される。至極当たり前の事であるはずだが、最近は二次創作の発展ゆえに、「そもそも知らない」という人もいらっしゃることだろう。
作者はその「愛」を認めて「二次創作可」および「拒まず」という立ち位置を取っている。だがこれはあくまで「愛を認めている」からに過ぎない。そこに愛が無ければ二次創作は禁じられてしまうことだろう。作者は作品を愛しているのだから、当たり前の話だろう。「愛も無しに穢される」など以ての外だ。
先にも申し上げたが、二次創作は愛が有るから成立しているものである。二次創作を完全に認めていられる作者がいらっしゃれば、その人はむしろ仏にも近い存在だということだ。
「二次創作を認めてくれない! あの人はよくない!」
という考えをお持ちの方が増えてきている昨今だが、それは寧ろ当たり前の事。愛があるから、作品を守っているのだ。
自分の子供を、他所の知らない人間に渡したりするだろうか?
よほど信用している者でなければ、出来るはずがないだろう。
信用が有り、そして、愛があるという理解があって、初めて成り立つもの。それを自分勝手に曲げてはいけない。
寧ろ二次創作を許していないというのは、そうすることで、子供たちを守っているのだ。これもまた「愛」だろう。
二次創作を許している人が「愛」を持っていないのかと問われれば、NOだというのは、先ほども語った通りだ。
カクヨムは、愛が深まる空間であってほしいと、願っている。どのような作品も受け入れられ、どのような作品も愛される。
そして、幸せ溢れ、憩いの場。そんな場所になっていくことを、心から願っている。
だからこそ、「愛」については、一人一人が考えてほしい。
今日この日、新たな世界が出来上がった。
その空間がどうなっていくのかは、「愛」の深さで変わっていくと、信じている。
カクヨムが誰にとっても過ごしやすい、作品に対する「愛」で溢れる空間でありますように……。