プロット作成の作業が辛い。
物語を描くのはカタルシスというか浄化というか。
でも、生み出すのは苦しい。
被害者を救済する話が書きたい。
でも、そうすると対立軸としての加害者を描かなければならない。
そこで堂々巡り。
苦しくて辛い。
書くことがしんどい。
だったら、やめてしまえばいい。
などと、うまい具合に進まない。
愚か者の筆者の中で被害者が書いてくれと言う。
悲嘆と怨嗟のこもった涙目で私の助けを求めている。
私の中で私をにらみつける加害者の映像が恐ろしい。
怨嗟と怒号が私の中でうるさい。
狂ってしまえるのならば、そのほうが楽なように思える。
もしできるなら、被害者も加害者もどちらも法の正義の下できちんと救済される話にできるならば、誰もが救われる。
そんなプロットが作成出来たら、いいのにと思う
そんな世の中が「本当」になったら、いいのに。
まあ、架空の話だから、誰もが救われる。
あくまでも、あくまでも、
「架空の話だから」であることが
ものすごく苦しく悲しい。
私の心が悲鳴をあげる。狂いそうである。
いや、もうすでに狂っているのかもしれないが。
私自身に判断能力なぞかけらもないのは
わかっているのではないのか。
「阿呆の一生」を思い出す。
事実は小説よりもはるかに奇であり狂である。