逆襲物語ネイキッド・ブレイドについて、少々補足を、と思い、こちらで「作者の思っていた事」について記載してみます。
本近況ノートは【逆襲物語ネイキッド・ブレイド】本編のネタバレを含みます。ご注意の上閲覧の是非をご判断下さい。
さて。
これまで単純な「異世界転生チートものについて」だけではなく「物語を愛する心と現実との闘い」「現実そのものについて」物語を通じて語ってきた【逆襲物語ネイキッド・ブレイド】ですが、最終回で改めて、「異世界転生チートとは何か」に一部回帰した事について改めて語らせていただきます。
それは要するに、「現実との闘い」「現実」について今物語の観点から語るのであれば、それは「現実の影響によって物語の世界に異世界転生チートが流行した理由」について、一周回って到達し、それについて語る必要があると考えたからです。
それは原点回帰であると同時に。この物語が「異世界転生チートについて」と「と現実と物語の戦いについて」という主題を選択した事が、その二つが結びつくという形でそれが同一の根源を持つという事、その二つを同時に扱う事が正しかったことの証明であると思います。
そして異世界転生チートというものを完全に乗り越え克服する形で物語を終わらせるためには、そもそも異世界転生チートとは何なのか、それが何故流行したのかを改めて問い直す必要があると考え。
その結果「異世界転生チートとは何なのか」というのが、要するに「救い」、いや「救われたいという思い」であると考えたわけです。
「やり直したい」「孤独は嫌だ」「より良い認められた存在になりたい」「死を乗り越えたい」、要するに「救われたい」。
それは本来的な物語の力がなすべき救いであり。過去には、宗教・神話や哲学と言った娯楽以外の物語たちもまた担っていた事ではないでしょうか。生きている間の幸せをもたらすのは政治や科学の部分もあるけど、死んでしまうというどうしようもない現実に対するそれを忘れさせたり救いの答えを齎すものとして、物語の力は常に人間に必要な存在だった。
それが今、そういう要素の答えとなる力を弱めてしまったからこそ、異世界転生チートが流行した、という側面もあるのではないかと思うのです。
劇中での『全能』の一部の言葉は、既存の宗教や哲学への『全能』としての歪んだ批判を帯びていますが(主人公と作者がそれに賛同する側ではなくそれに立ち向かう側である事にご注意いただきたい!)、それは彼女が異世界転生を司る神で、そして地球の化身であるからで、即ち既存の宗教が科学に否定・解剖されて本気で真剣に信じる事が出来なくなった結果人間は死ぬ事の恐怖も克服できなくなったという現代文明の形、物語が大量生産大量消費されより強い刺激とより強い快楽と没入と満足が市場原理的に際限なく求められ続けた結果としての異世界転生チートの流行、その二つの象徴だからで。
物語の救いが無い事はある意味究極に救いのない状態で、究極の救いとは生きる苦痛と死の恐怖に克服を与える事で。
それから人を救うのが現代では異世界転生チートなのだ、と『全能』は言った。だから、私が地球最後の女神だと『全能』は語った。
それは紛れもなく傲慢なのだけど、紛れもなく人を救いたいという祈りであったと思うのです。
異世界転生チートだって、いつの間にか巨大化しすぎて他のファンタジーを押し潰す存在になってしまっただけで、本来は読者を楽しませよう=救おうとする存在であった筈なように。
故に【逆襲物語ネイキッド・ブレイド】が戦うべき『真の敵』は、異世界転生チートを全てを押し流す濁流のような怪物にしてしまった『救いのない現実】そのものであると思うのです。
だからリアラとルルヤは『全能』と戦う過程で、「異世界転生チート以外の物語にだって人を救える」「孤立している人の心は一人一人が一つの宇宙であり、人と人が物語を通じて繋がり合える事は別の物語世界に赴くのと同じくらいの奇跡なのだから」「繋がることは救いである、それはある種の永続なのだから」「それこそが救いの本質であり、救いはまだ存在する、少なくとも他を踏み躙る濁流と化した、もう限界の異世界転生チートのみが救いではない」と訴えて勝利します。
「物語の救いが無い事はある意味究極に救いのない状態で、究極の救いとは生きる苦痛と死の恐怖に克服を与える事」は間違いではないが、それは異世界転生チートの独占対象ではないのだ、と
『現実』と『異世界転生』の化身である相手の、『現実』と『異世界転生』の間に楔を打って、物語を踏み躙る物語に、物語が現実を踏み躙るんじゃない、それはお前の良心が感じている苦痛を誤解しているんだ、と言って勝つのは、戦うべきはあくまで現実であり、異世界転生チートはその暴虐的な奔流としての側面を正すが、そもそも異世界転生ブーム以前の異世界転移や転生に見るべき作品、歴史的に大事な作品は色々あったのだから。
戦うべきは現在の現実であり、暴走し巨大化し怪物化した異世界転生チートを、「暴走し巨大化し怪物化した」という現実から異世界転生チートを切り離す事で打倒する、ある意味で救う。
それが、殺して殺して殺したリアラとルルヤの復讐の旅路の終わりにもなる、と。
この物語の『真の敵』は何だったのか、何と戦い勝利すべきなのかについては、そんなイメージだったのです。
これは【物語】の【逆襲】であり、敵は『現実』である、と。
ここら辺は作者である私やリアラの人生観やこれまでの人生で抱えた様々な苦悩を複合し、それにこの物語で答えを出そうとした結果で、少々複雑な形になってしまいましたが……
それでも私は、この物語をこのように書く必要があったと思うし、こう戦ったリアラの物語を肯定したいし、そして、私やリアラと同じ苦しみを抱く人間をこの物語が救うと、信じたいのです。
改めて、お読みいただきありがとうございました。もしこの物語が誰かの糧や支えや救いや温もりやアイディアとなったのであれば幸いです。