• エッセイ・ノンフィクション

日常の定型分

こんにちは。陽夏戯です。
近況ノートを初めて書きます。

ここでは、私が日々過ごす中で感じる思いや考え、本を読んで感じたことなどを素直にそのまま発信していけたらと思います。

初めての近況ノートに何を書こうか迷っていたのですが、「言葉」について自分なりに思っていることを書くことにします。


とある帰り道のことです。
私は、バスから降りて、家に向かって歩いていました。
するとそこに、それぞれ自転車に乗って道を渡ろうとするお母さんと男の子がいました。

男の子はのんびりと自転車を漕いでおり、お母さんの方が先にその道に到達しそうでした。

すると、危ないから一緒に渡ろうと思ったお母さんが男の子に
「いっぱいコギコギしてー!」
と言いました。

男の子は無事にお母さんに追いつき、一緒に仲良く道を渡っていきました。


私はこの時、お母さんが男の子にかけた「言葉」に注目していました。
お母さんは、「急いで。」「遅い。」でもなく、「いっぱいコギコギしてー!」と言ったのです。

その言葉選びに私はとてもほっこりしました。

言ってしまえば、これらの言葉は全部同じ意味として男の子に伝わったでしょう。
ですが、「遅い。」「急いで。」とぶっきらぼうに言われた男の子はどう感じたでしょうか。

その子が反抗期でなかったとしても、少し気持ちがマイナスの方向に向いたでしょう。
私は人の言葉や行動に繊細に反応してしまうので、私が男の子だったらかなり落ち込んでいただろうし、それを側から見ていただけでも少しダメージを受けていたかもしれません。



よく言葉は刃物だと言います。その通りだと思います。

私は人を傷つけるために意図的に出された言葉だけでなく、日常生活に浸透した所謂「定型分」も時としてカッター、いやそれ以上の刃物になるのではないかと思います。

もしあのお母さんが日頃から、傷つける意図でなくとも、男の子に厳しい言葉をかけていて、もしあの時男の子は、もう心がいっぱいいっぱいだったとしたら。


いつもなら流せる言葉も簡単には流せないかもしれません。
いつもならカミソリだった刃物も日本刀だったかもしれません。


友人や家族は一緒にいる時間が長く、いつの間にか「ノリ」ができ、それが「定型分」を作っていきます。

しかし、人の心は日々変化しています。

だからこそ私は「定型分」に頼るのではなく、その時その時でこの世界に溢れる多くの言葉の中から「とびっきり素敵な言葉」を選んで届けたいのです。


そして、「本」というものは、作者が選んだ、「とびっきり素敵な言葉」が詰まったものだと思っています。だから私は本が好きです。

カクヨムで作品に向き合っている方は、きっと今まで「とびっきり素敵な言葉」を探し続けてきた方なのでしょう。

私もその一人として、私らしい「とびっきり素敵な言葉」を選びながら、のんびり作品を載せていけたらと思います。


長くなりましたが、これからもよろしくお願いします。

陽夏戯

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