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タイミヤにチェスとかやってもらいたくない? 私チェスほとんどやったことないですけど。


 酒場のカウンターでぼんやりテレビを見ていると、何やらゲームの大会が映し出されていた。都は瞬きをして、そのゲームが何なのか思い出す。
 チェス、だ。それは。駒を動かして王《キング》を獲るゲームだ。その中の1組に焦点を当て、勝負の行方を映している。学生時代にやったことがあるような記憶だけれど、ルールは覚えている。先ほどから悪手を繰り返している一方に、都はため息をついた。
 ――――そこは、

「ルークをとるだろ、どう考えても」

 コーヒーカップを片手に、カウンターに寄りかかるタイラがいた。



☮☮☮



 古いチェス盤を開いて、都は駒を配置する。昔、チェス盤のような絵柄のクッキー、あるいはサブレが好きだった。普通のクッキーよりも胸がときめいた。少しだけ、そんなことを思い出す。

 そんな都の目の前で、タイラも駒を配置している。色は、黒。したがって、都の駒は白。綺麗に、思いのほか神経質に、タイラは駒をすべて並べ終えた。都も手を止める。
 開戦だ。1手目は、白の都になる。ポーンを2マス、動かした。
 失礼だろうが、タイラがチェスのルールを知っているということがあまりに都の好奇心を増幅させた。だから、都は言った。「もう随分昔にやったきりだから、チェスのルールも曖昧だわ。よかったら、教えてくれないかしら」と。タイラは快く受け入れ、そして今に至る。
 タイラがポーンを動かす。初めは、そうだ。そうせざるを得ないところがある。駒を飛び越えて移動できるナイトでさえ、駒がびっしりと並んでいればその本領を発揮できない。

「教えてと、俺に言ったか?」

 そう言って、タイラは腕を組む。「どう見ても、ルールを忘れているようじゃないんだが」と不満そうだ。都は内心舌を出して、「思い出してきちゃったわ、駒を並べているときに」と弁解した。タイラが肩をすくめて、都の手を促す。

 お互いのポーンが、少しずつ前へ進んでいった。最初に動いたのは、やはりというかタイラだ。ビショップを斜めに移動させる。様子見をしていた都は、その無難な手にむしろ驚いたくらいだった。ビショップは非常に使い勝手がいい。その駒でこちらの出方を見ようというのは、タイラにしては無難で堅実すぎる手だった。都はそのビショップを無視して、ルークを進める。すると次の一手でタイラは、ビショップを都の陣営に突っ込ませた。ポーンを1つ、獲られる。
“出方を見る”なんてとんでもない。タイラはただ、実直なまでに最短で、攻め込んできたにすぎなかった。
 少々目を丸くしながら、しかし都はそのビショップに対処しなかった。否、できる駒がなかった。しかしタイラの方も、これ以上そのビショップで攻め込むことはできないだろう。獲れるのは精々ポーンのみ。それ以外を獲ろうとすれば確実に他の駒で抑え込める。
 だから都は、堅実にルークを動かすことにした。
 タイラがナイトを動かす。動きの予測が難しく、唯一クイーンと追いかけっこのできる駒。直感的に都は、タイラがナイトでこちらの陣営をかき回してくるつもりだと察した。タイラなら、そうする。正直、どれだけ守りを固めても駒を飛び越えるナイトにはほとんど無意味だ。シンプルに、ナイトを撃ち落とせる位置につくしかない。
 いくつかこまごまと動かしながら、3手目でやはりタイラはナイトを動かした。ビショップを1つ獲られる。ある程度散り散りになっていた都の駒は、それ以上獲られないようナイトを狙っていく。それでも都の駒たちを分散させる暴れ馬っぷりを見せてくれたのはさすがだと思う。こちらも3手で、ナイトを獲った。
 何の未練もなく、タイラはポーンを動かす。

 戦局を見ながら、『まるで彼の戦い方みたい』だと都は思った。否、正真正銘これが彼の戦い方なのだろう。虚を突くような捨て身の一点突破、それすらカウンターとする堅実な追撃。
 ふと、タイラが呟く。

「君の手はいつも100点だな」

 意味が分からなくて、聞き返してしまった。タイラはクイーンを動かしながら、「まるで数式でも解いているみたいだ。同じゲームをしているんだと思っていたけど、君はもしかしてチェスを○×ゲームとでも?」なんて首をかしげるので、都はようやく腑に落ちる。
「私も、あなたと別のゲームで勝負しているような気になっていたわ。私はチェスを。あなたは?」
「俺もチェスに決まってる」
「チェスだって、いつも最善手を選んでいれば数式をはめ込んでいくのと同じよ」
「いや、チェスはどれだけ相手の軍勢を崩せるかのゲームだよ」

 なるほど。都は頭脳戦を。タイラは心理戦を。確かに、同じゲームをしているのに、違うゲームだ。

 ナイトを動かしながら、都は自分の駒を見る。見る限りは五分だが、残念ながら劣勢だ。
(本当に、誘うのが上手)
 手を読もうとする都と手を誘うタイラでは、いつも都の方が後手だ。そっと彼の目を見てみる。彼は一度も都のことを見ない。ただ誠実なまでに真っ直ぐ、盤を見ている。都はちょっと見とれてしまって、それから自分の駒を動かした。
 お互いほとんど駒もなくなってきたころ、タイラは静かに「チェック」と呟いた。

 彼のビショップが都のキングを獲れる位置についている。そうなると、都としてはそれを阻止する動きしか取れない。戦局を見ても、意味のない鬼ごっこだ。いずれ逃げられなくなる。都は瞬きをして、キングを動かした。タイラがそれを追いかける。そして、都は肩をすくめて笑った。

「ごめんなさい、あなたはこういうのが嫌いだろうとは思ったのだけど」

 目を丸くしたタイラが、「ああ……なるほど、ステイルメイト」と残念そうな顔をする。
 現状、都のキングはどこからもチェックがかかっていない。が、どう動かしても次のタイラの手でチェックメイトとなる。
 だから都は動かさない。
 チェスとは、負けないことを選べるゲームだ。どんなに劣勢でも、ポーンひとつ動かせる余地があるのなら動かさなければならないが、王は決して敵の前に首を差し出さない。兵を押さえ城も押さえ、しかし王自身は決して敗北を認めない。そのような状況を、ステイルメイトと呼び、チェスでは基本的に“引き分け”扱いとしている。

「うーん、追い込みすぎたか」
「ええ。次はもっと腕をあげてくるわね」

 駒を片付けながら、タイラは薄く笑う。低い、囁くような声で。
「うん。……次は、逃がさないね」と、言った。

 呆然と、都は彼のことを見てしまう。タイラは手際よく片付けながら、首をかしげた。
「何を握り締めてるんだ? 片付けるぞ」
「あ……ごめんなさい、ありがとう」
 それは彼から最初に獲った、黒のナイトだった。
 都はやっと喉を鳴らして緊張を飲み干す。彼の目をまっすぐに見た。
「負けないようにするわ、あなたに」
 そう、静かに宣言したのだ。

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