https://www.kadokawa.co.jp/topics/10952/
まずは、刊行中止という判断がなされたことにホッとしています。
当該書籍はタイトルやキャッチコピーだけでなく、原書の内容にも多くの問題点があることが指摘されており、トランス排除的な言説であることは本文を読むまでもなく明らかです。
私は過去に文章の置き場としてnoteとPixivを使っていましたが、いずれも現在は更新停止しています。
とくにPixivはピクシブ社のトランスジェンダー女性社員へのハラスメントへの抗議の意味合いで更新停止に至っており、今更カクヨムに小説をアーカイブしはじめたのはそういう経緯もあってのことなのですが……、この状況でKADOKAWA系のプラットフォームであるカクヨムを知らん顔して使い続けるのはどうなの? と思わずにはいられず……
KADOKAWAがこれまで差別的な書籍をまったく刊行していなかったという認識はありませんし(民族差別的な本はけっこう出していたという感触があります)、東京五輪の汚職に絡んでいたことも記憶に新しいわけで、そういったことはカクヨム登録時点でわかっていたくせに、何を今さら……という葛藤もありつつ、やはり無視することはできない。
私の立ち位置と考えを文章で公開し、問い合わせメールを送り、「刊行が中止にならないかぎり更新は休止」しよう、と決めてグズグズしているうちに、予想より早く刊行の中止が決定した、という感じです。いつも行動が遅い……
正直、刊行中止はないだろうと予想していたので(おそらくもうほぼほぼ出来上がっているタイミングだと思いますし)驚いていますが、英断だと思います。
ただ、このきわめてまっとうな判断への「焚書」「言論統制」という反応には強い違和感があります。
出版の自由、言論の自由、表現の自由と「差別する自由」はイコールではありません。
著名な書評家が、おそらくは刊行中止の要求を指して「一部の過激な人々のせいで、トランスジェンダーの方々のための運動が奇異な目で見られませんように。運動内部でこういう過激なバカのコントロールができるようになりますように」とツイートしているのを見ましたが、自律すべきは出版業界のほうではないでしょうか?
また「言論の自由」を掲げるのなら、大手版元から差別的な書籍が一冊公刊されることによってどれだけの人が口を噤まざるを得なくなるか、「出版」という力を持たない人たちの言論の自由を守りきれるのか、ということも考えてほしいです。あたりまえのことですが、そうした責任まで含めての「言論の自由」「出版の自由」であり、自律なしの自由はありえないと私は考えます。
すでに指摘されているとおり、KADOKAWAの「タイトルやキャッチコピーの内容により結果的に当事者の方を傷つけることとなり」という説明もあまり適当とは思えず、一連の流れがトランスヘイトを煽ってしまっているので、より適切なフォローが入るといいなと思います。
ともあれ、刊行中止となったのでカクヨムは引きつづき更新いたします。
今後も使いつづけるにあたって、主に自分のためのステイトメントとしてこの文章を置いておきます。
なお、そもそも「刊行中止になった書籍の内容はほんとうに差別なの?まっとうに思える」というかたは、以下を参照していただければと思います。
https://trans101.jp/
https://amzn.asia/d/iBsdlZ1
https://ryokufu.com/product/8461-1915-7